中国のハイエンド無人機、今や西欧を凌駕する

月刊中国ニュース    2017年3月5日(日) 15時50分

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国際市場でハイエンド無人航空機(無人機)の製品は決して多くない。偵察と攻撃能力を併せ持った無人機は、中国の彩虹-3と彩虹-4のみとなっている。写真は彩虹-5無人機。

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米ファイアビー(Firebee)無人機をモデルにした開発計画は1969年にスタートした。開発スタッフは、機体の参照とは別に、機体に合致した地上観測制御システムを開発する必要にも迫られた。そして10年間の苦難の末、長虹1号の開発に成功した。同機は中国軍の装備に組み込まれ、「無偵-5」という正式ナンバーが付けられた。ただその後は無人機の発展スピードは遅くなり、長期の空白期間に入った。

1990年代に中国の軍需産業は需要不足の問題に直面する。「仕事があまりなく、航空機の型も少なかった」。1990年に航空試験院の大学院を卒業後、航空部門で働いていた石文はこう振り返る。

このとき、北京空気動力研究所(中国航天空気動力技術研究院の前身)も困難に直面していた。「気動市場全体の専属性が強く、もっぱら国家の重点機種に特化するばかりで、市場は極めて狭かった」(王宏偉)という。世界的に見ても、空気動力の研究に従事する機関は一つの国に一つか二つあるかどうかであり、英国やフランスも同様。米国はやや多く、独自の体系を築いて以降、航空宇宙局やアーノルド空軍基地など四つの機関が気動業務をおこなっていた。

事業を急ぐ北京空気動力研究所は多くの試みをおこなった。自動コントロール、機械加工、容器計測、コンピュータ研究などの他、タクシー事業や養殖場の経営にも手を出した。しかし最後に分かったことは、自らの専門領域や技術優位性とリンクさせることが必要であるということだった。 中国の軍事貿易が発展し、国産航空機やミサイルなどが海外に販路を得るようになると、北京空気動力研究所も海外から気動サービスに関する注文を受けるようになった。航空機をミサイル搭載可能機に改造したり、ミサイルをより遠くに飛ばしたり、さらにコントロール戦略を変更したりなどであった。こうして海外市場の潜在力が認識されるようになった。

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