Record China 2017年1月1日(日) 21時30分
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海外で暮らす中国人はみな自身が出国した日をはっきり覚えている。現在、すでに全日本華僑華人連合会の会長となった顔安も同様である。
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ビジネス界―苦痛の中の成長
当時、市場経済の潮流が中国大陸を席巻していた。日本企業も次々に中国に進出していた。「三菱」といえば、日本でも中国でも、人々が襟を正す大企業である。三菱が中国で人材募集すれば、一つの職に200人以上が応募してくるし、それがすべて有名大学の卒業生である。この老舗企業にはいったいどんな魅力があるのか、どんな企業文化があるのか。三菱の本社での経験は顔安を震撼させた。社内にはひまな人はいないし、ひまな時間もない。全員が小走りで仕事をし、緊張した雰囲気は激烈な戦場にも劣らない。社長が遠くから歩いてくると、みなすぐに整然と並んで立ち、お辞儀をしながら「おはようございます」と大きな声で挨拶する。同じ服装、同じ動作、同じ表情……顔安は「社内天皇」の意味を理解した。
「それまでは舞台関係の仕事だったので、個性と自由を大事にしていたのに、突然忙しく、統一された、服従する環境に入り、新鮮で刺激があり、当時はもしかしたら、これこそ自分が求めていた生活ではないかと思った」と、顔安は当時のことを昨日のことのように語る。 このような企業文化の薫陶を受けて、まもなく顔安は単独で仕事をするようになった。三菱倉庫の広州事務所の首席代表となったのである。毎日コンテナを出したり入れたりするのが、顔安の生活のすべてとなり、しまいには夢の中でも大声で「コンテナ」と叫ぶようになった。この全く新しくなった生活は、彼を苦しめ、また彼を成長させた。
当時、顔安はよく自分に問いかけていた。「人生の前半は芸術と付き合って、ダンスで人生を証明した。後半生はまさか忙しいビジネスの世界でコンテナを積み込んで終わるのではないだろうな」。悔しさが湧き上がってきた。本当に方法はないのだろうか。「いや、10年以上のアーティスト経験があり、さらにビジネス界での経験があれば、成功できるんじゃないか。両者を結び付けて、芸術とビジネスを兼ね備えた文化交流活動に従事しよう」と、突然悟りが開けたように、顔安は人生の新しい方向性を見出したのである。
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