<日本で大成功した中国人>中国人民解放軍で大活躍!でも、迷わず日本へ、日中ダンス文化の違いとは?

Record China    2017年1月1日(日) 21時30分

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海外で暮らす中国人はみな自身が出国した日をはっきり覚えている。現在、すでに全日本華僑華人連合会の会長となった顔安も同様である。

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複合―日中文化の違いを感じて

ダンサーの衣装を脱ぎ、解放軍総政歌舞団を退団して来日した顔安の地位や環境は大きく変化した。当時の中国人留学生らしく、彼は日本語学校で勉強しながら、アルバイトで巨額な学費と生活費を稼いだ。汚れ仕事、疲れる仕事、危険な仕事、すべてやった。しかし、自分の選んだ道だから歯を食いしばってやり抜いた。

日本語学校で1年間学んだ後、顔安が日本の大学を受験する時期となった。彼は新しい生活を始めようと、新しい専門、学科を受験し、新しい仕事を選択しようと思った。同級生が受験のためあちこち奔走している時、彼は心を静めて真剣に将来の計画を立てていた。 「自分は何をしたいのか、何ができるのか」。顔安はペンをとっては放り出した。最後に大きな紙の上に書いた二文字は、意外にも別れを告げようとした「舞踊」だった。

受験の方向性が決まってから、すぐに彼は自分の愚かさを知った。日本各地の芸術大学の受験資料をひっくり返しても、ダンス学科はおろか、芸術学部も見つからない。これでどうして芸術大学と呼べるのか。まもなく彼は気づいた。日本のダンス専攻は芸術学部ではなく体育学部にあることを。彼は泣くに泣けず笑うに笑えなかった。

慎重に考えた結果、顔安は日本大学芸術学部と東京学芸大学を受験した。面接試験の際、試験官は3人の外国人受験生に「ダンスの本質とは何か」と質問した。フィリピン人受験生は、「良い身体条件の上に良い訓練」、韓国人受験生は、「美の一文字です」、顔安は「ダンスの本質は感情です」と答えた。これは彼が長年心身ともに注いだ中から得た真実の体験である。顔安の確実な基礎的技術によって、二つの大学に合格した。最終的に彼は東京学芸大学大学院を選び、全額奨学金を獲得した。

再び華麗な舞台に立つと、顔安はすぐに感覚を取り戻した。彼の優美なダンスは同級生と教師たちを驚かせ、まもなく彼は教授の授業を補助する「学生兼教師」となったが、これは前代未聞のことであった。多くの日本のダンサーたちとの切磋琢磨を経て、顔安は日中両国の舞踊教育の大きな違いを見つけた。

ダンス専攻の学生は、中国では普通、特に身長の比率、柔軟性、力、バランスなど、身体条件から厳格に選ばれ、みな素晴らしい身体条件と素質を持っている。日本では学生のダンスに対する情熱を重視し、身体条件はさほど重視されない。ダンスの目的は体を強くし、心身を鍛えることである。この時、顔安は日本のダンス専攻が体育学部にあるわけを理解したのであった。彼は、「日中のダンス文化は違うものの、それぞれに優劣があり、もし総合すれば一流の人材を養成できる。この点からだけでも、文化の融合は一つの事業を発展させるのに大きな推進力となる」と言う。

日中ダンス文化の違いがわかってから、顔安はさらに学び、教え、さらに理解を深め思い通りの結果を得た。卒業する時、教授は「君のような学生は、我が校では最初で最後だろう」と嘆じた。そして、学長、学部長、学科主任が次々に彼に対して、厚遇するから大学に残ってほしいと申し出た。この時、久しぶりの声が再び顔安の耳元でささやいた。「日本に来たのは新しい人生に挑戦するためじゃないのか。最初に持っていた理想を忘れたのか」と。彼は大学からの好意を婉曲に断り、ダンス芸術に再び別れを告げ、1993年三菱倉庫株式会社に入社してビジネス界での闘いを始めた。

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