<日本で大成功した中国人>日本旅行は中国人の夢だった、日本社会はもっと中国人に寛容であるべき

Record China    2017年2月5日(日) 14時50分

拡大

日本で数十年間必死に働き、学校、ホテル、旅行社、バス会社、新聞社と徐々に事業を拡大してきた露崎強は、30数年前たった一人で、日本にピアノを学ぶためにやってきた。

(1 / 3 枚)

その他の写真

中国人のルールで独自路線を行く

2009年、白雪を冠した富士山を背にした山麓に電気ドリルの音がこだました。6階建て、1万2000平米のビルの内装工事が進んでいた。「全部で150室あります。最上階には100平米以上のスイートルームが8室並列してあります。中国人は日本のウサギ小屋のような部屋のつくりは好きではありません」。彼は紅葉に染まる山中湖を見下ろしながら、間もなく開業するホテルを眺めた。

未完成のまま放置されていた大きな建物は「富士山ガーデンホテル」に姿を変えた。中国人観光客により良いサービスを提供するために、客室は機能面から内装に至るまで、彼らのニーズをより考慮した。

「中国人客を掴まなければ、日本のホテルを買収しても破産するしかありませんから」と、彼は非常に冷静である。「ホテルを買収しても日本のビジネスだけしていたのでは、習慣、管理、スタイル、お客様への細かい心配りなど、日本人が経営するホテルにはかないません。新しい道を切り開くしかなく、独自色を出し、大きな潜在力をもつ中国市場に眼を向け、中国人客を誘致することにしたのです」と、自身の経験を語る。

「ルールは人が決めるものです。我々のホテルは中国人客のためのルールに改めればよいのです」。彼には中国人客の気持ちがわかる。彼らのほとんどはホテルの豪華さなど気にしない。彼は自身のホテルを冗談めいて「外観は五つ星ホテル、中身はビジネスホテル」と表現する。内装材から家具、寝具、日用品、装飾品に至るまで、すべて中国から調達した。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携