<日本で大成功した中国人>日本旅行は中国人の夢だった、日本社会はもっと中国人に寛容であるべき

Record China    2017年2月5日(日) 14時50分

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日本で数十年間必死に働き、学校、ホテル、旅行社、バス会社、新聞社と徐々に事業を拡大してきた露崎強は、30数年前たった一人で、日本にピアノを学ぶためにやってきた。

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競売物件からの「宝探し」で新境地を拓く

露崎強の名前は、日本での度重なる見事なまでの買収行為で知れ渡った。NHK、朝日新聞、読売新聞などが大きく報道し、彼のビジネスストーリーは日本で有名になった。

1987年に来日し、牛乳配達から始め、中華料理店、国際結婚紹介所、航空券販売等々、次々に事業を拡大していった。中国漁船が操業している漁場で働いたこともある。そこで1000万円稼ぎ、中国人には馴染みのない鰆(さわら)を仕入れた。朝から晩まで働き、少しずつ資金を蓄えていった。

不動産業を始めたのは2001年である。当時、日本の景気は10年近く低迷しており、バブル崩壊を引き起こす不動産業はその元凶と見られていた。市場はよどみ、見向きもされなかった。「どこから切り込めばいいのか?このよどんだ水からどうすれば魚が獲れるのか?」彼は考え込んだ。「そうだ!やり直す必要はない。不要になった物件を活かす道がある」とひらめき、裁判所が競売にかけた物件から“宝探し”を始めた。東京や千葉で安価な物件を購入し、続々とやって来る留学生に向けて日本語学校を開設。あっという間に10棟以上のビルを持つようになった。

「ひとつチャンスの扉を開ければ、再び新たなチャンスが見つかるものです」。2004年、彼は来日観光客の増加という商機を見逃さなかった。3億円で千葉県木更津市の破産した旅館を買収・改築し、東京ベイプラザホテルとし、大挙して観光業に進出した。そのまま運び込まれた中国色豊かな大門が人々の眼を引いた。

金文字で「東京湾花園酒店」と大きく刻まれた大門が完成披露された日、3台の車が玉突き衝突した。運転しながら門に眼をとられて衝突したのだ。彼は当時のことを、いつも得意げに喜色満面に語る。ホテルの庭園には、あずまや、小径(こみち)、橋などを配し古色蒼然とした中国式のデザインにした。それは、経営者として、彼自身に深く根差している「中国情緒」を表現しただけでなく、より多くの中国人観光客を誘致し、故郷に帰ったようなもてなしをするためであった。

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