<日本で大成功した中国人>日本旅行は中国人の夢だった、日本社会はもっと中国人に寛容であるべき

Record China    2017年2月5日(日) 14時50分

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日本で数十年間必死に働き、学校、ホテル、旅行社、バス会社、新聞社と徐々に事業を拡大してきた露崎強は、30数年前たった一人で、日本にピアノを学ぶためにやってきた。

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さらに、東京ベイプラザホテルの客室は日中2タイプのデザインにした。宴会場は中華と和食の大規模な宴会が可能である。そうしたことから、昼間は日本人客をもてなし、宴会や結婚式を受け、夜は次々と中国人観光客の一団がチェックインする。

中国人観光客を対象にしたホテルはすぐに飽和状態になった。観光客の急激な増加によって、“地盤”の拡大とホテルの増設に迫られた。2006年、富士山麓の山中湖湖畔に、8800万円で競売にかけられた小さな建物を買収した。

ほどなくして、さらに、大きな未完成のビルが彼の眼に留まった。このホテルは、元々、清水建設が40億円かけて建設していたが、建設中、資金繰りができなくなり、未完成のまま競売にかけられた。不動産業界での長年の経験と人脈を生かし、2008年に2億円で落札し、さらに10億円かけて改装し、400名を収容できるリゾートホテルを完成させ、富士山周辺では最大のホテルとなった。

90年代、日本のバブル経済は崩壊し、日本の多くのデベロッパーは債務超過になり、未完成のプロジェクトが多く残った。崩れそうなビルは日本人の大きな心の傷跡となり、それに触れる者も触れようとする者もいなかった。しかし、この“粗大ごみ”は露によって宝になった。

「宝探しは砂金を選り分けるようなものです。金塊になるまで続けるのです。日本人も、おそらく良い物件であることは分かっているのです。しかし、それを買収したとしても、さらに巨額の資金を費やさねばなりません。だからと言って、集客できなければ資金を回収できるかどうか分かりません。しかし、私は中国人ですから、中国人の市場のニーズを知っています。中国人向けのホテルを経営して回収する自信がありました」。

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