羽生結弦のために私はスポーツ記者になった―中国人記者

Record China    2022年2月28日(月) 20時20分

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中国メディアの鳳凰網は27日、日本人のフィギュアスケート選手・羽生結弦のためにスポーツ記者を目指したという記者実習生・大剛(ダー・ガン)さんの手記を掲載した。

■6年間の思いを形に

2022年に大学4年生になった私は、(羽生選手の)平凡な一ファンに過ぎない。2016年にフィギュアスケートに関するアニメが登場し、そのアニメが好きになった。そして、関連情報を検索しているうちに「羽生結弦」に行きついた。

私が最初に目にしたプログラムは、ファンたちを最も悲しませた「オペラ座の怪人」だった。当時、試合前の6分間練習で中国選手と衝突。双方がひどいけがを負ったが、共に棄権せずに演技を行った。その試合で、羽生選手は頭に包帯を巻き、8回のジャンプで5回転倒した。転倒はしたものの、なんと1本を除くすべてのジャンプで回転数は足りていた。最後の転倒で彼が立てなくなりそうになった時、その一挙手一投足がすべての人の心を打った。包帯が緩み、血がにじんだが、彼は気付いていないようだった。

私が思うに、彼を好きなことに特別な理由はない。ただ彼の身体からある種の非常に強い力を感じたから。彼は自著の中で「僕が全力で演技しているのを見て、皆さんに少しでも前に進む勇気を持ってもらえたら」と書いていた。間違いなく言えるのは、私はその力を感じてずっと進んできたということだ。

私は次第に彼のことを友人たちに話すようになった。女子高生だった私たちは授業の合間の休み時間に集まり、前日の夜に彼のどんな番組を見たとか、彼のどんな素材を見つけたとかの話をした。2022年に北京で冬季五輪が開催されることを知ると、私たちは毎日、6年後に思いをはせるようになった。

「2022年は大学4年生よ!私は絶対にすごい記者(実習生)になって彼を取材する!」

「みんなでチケットを買って観戦に行こうよ!」

「いいねいいね!一番前で見たい!!演技が終わったらプレゼントを投げ入れよう」

深く考えもしないでしていた会話だが、当時の休み時間、私たちは確かにこんなおしゃべりをして過ごしていた。高校卒業後、私はマスメディア学関連の専門を学ぶことができたが、一緒に試合を見に行こうと約束していた友人たちとは離れ離れになった。加えて突然見舞われた新型コロナ。しかし、それでも「記者になって彼を取材する」という思いはしっかりと持っていた。

資料を調べ、方法を探したものの、対面して取材することはほぼ絶望的だと分かった時、私は彼について少しだけでも記事を書けば、この6年間の期待(への回答)を果たしたことになるのではと思うようになった。そして、私は鳳凰網の実習生になることに成功し、6年間期待し続けた16日間を過ごすことができた。羽生選手に一目会うことはかなわなかったが、彼が中国の熱意を感じてくれたことは分かった。

試合後のある取材で羽生選手は今回の五輪を「宝物のような経験」と表現した。私にとってもこの時間は同じように「宝物のような経験」になった。それは私が22年の人生で一度も経験したことがなく、一生忘れられないであろう経験だった。羽生結弦選手、またお会いしましょう!(翻訳・編集/北田

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