木口 政樹 2017年5月8日(月) 20時0分
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今回は忠清南道の南に続いている全羅北道と全羅南道を見てみよう。資料写真。
ご存じのように金大中は全羅南道木浦(モッポ)の出身である。大統領が変わるとこんなにもえげつなく変わってしまうものなの?と湖南線ターミナルを見るたびに私は思う。わが妻のふるさと慶州に行く時には(今はマイカーで行くけれど)、このみすぼらしい京釜線の方に行ってバスに乗るわけだが、しかしだからといって湖南線の豪華さに腹は立たない。これでいいのだ。
慶尚道がこれまでどれだけ甘い汁を吸ってきたことか。私などに見えるものだけでもすごいのに、見えていないところまで含めたら、それこそ気が遠くなるくらいの「横行」が行われてきただろうと思うからだ。最近は、高速鉄道(KTX)も開通して慶尚道と全羅道の格差は少しずつ縮まっていると言えるだろう。それでもやはり50年以上の時間と十数年という時間の差は覆い隠せるものではない。
全羅北道の道庁は全州(チョンジュ)だ。ここは韓国料理ビビンパプの本場。全羅道は料理がおいしいことと食事を注文した時のおかずの量の多さでも有名だ。ビビンパプだけを注文しても一緒に出てくるおかずが何種類にもなり、すべて食べきることはできない。客に対するおもてなしとしてはとてもありがたいものだが、あまりにも多くの料理がほとんど手つかずのまま残ってしまうので、もてなしを受けたことへの感謝とともに、これ全部を捨てることになってしまうのかという罪悪感にうちひしがれることになる。
全羅南道の中心は光州(クァンジュ)だ。ここも光州広域市ということで行政上は全羅南道とは区別せねばならぬが、釜山が慶尚南道の中心であるように光州が全羅南道の中心と考えて差し支えないだろう。全羅道は、朝鮮時代の昔から島流しの地として有名だ。丁若ヨン(チョン・ヤギョン)や鄭道傳(チョン・ドジョン)をはじめ多くの学者や両班(ヤンバン。当時の貴族階級)らが全羅道の各地で流刑生活を送ることになる。政争に敗れて流刑になる者あり、真実を言って流刑になる者あり、民衆の利を守ろうとして流刑になる者ありと、その形はさまざまだが、恨(ハン)を抱いたエリート層が全羅道で流刑生活を送るという共通点があった。そうした恨は空気に溶け込み水に染み入り大地に潜みながら長い歳月をずうっと旅してきているのかもしれない。
パンソリやチュム(踊り)の名手がここ全羅道から多く輩出されるのは故なきことではない。パンソリをはじめとした韓国の伝統芸術には、恨が染み込んでいると言われている。恨をエナジーとして表出させたものがパンソリでありチュムと言えよう。
パンソリというのは、日本の浪曲と民謡を合わせたような芸術である。韓国の伝統芸術を見る時には、表相の音や色や形だけではなくて、その内面に潜む情、つまり恨の心を感じるべきものなのであろう。こんなことを書いている筆者がそうできているのかというと、恥ずかしながらそうでもない。まだまだその境地にまでは達していないが、そうあろうと努力はしている。
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