<日本で大成功した中国人>日本のITバブル崩壊に希望を見出す!日中企業の協力は爆発的なエネルギー生み出す

Record China    2017年1月3日(火) 7時50分

拡大

ビジネス界は戦場だ。昔から中国人は、利益を追求するため頭を働かせる商人の様子を「リスクに富を求める」「商人に善人はいない」などと形容している。もしビジネス界にその形容に合わない人物がいれば、素人扱いされる。しかし、本当にそうだろうか。

(1 / 3 枚)

その他の写真

先見性を磨く

1966年、王遠耀は福建省に生まれ、1983年に高校卒業後、あこがれの就職先、供銷社の仕事についた。しかし、海を見るたびに福建の華僑が海を渡って世界へ挑戦した姿が見えるような気がした。1987年、21歳の王遠耀は職を辞し日本に留学した。

彼は横浜中華街に落ち着き、レストランでアルバイトをしながら勉強した。外国の若者が一人知らない土地で暮らす中、たびたび孤独と寂しさを感じたが、見知らぬ日本社会に直面した彼の心には「探索」という二文字しかなかった。世界は知らないことで満ちあふれており、可能性もまた満ちあふれている。彼は、探索によって見知らぬ天地を見つけることができ、異なる人生の価値を見つけることもできると信じていた。

横浜のレストランでアルバイトをしている時、彼は中国料理が日本人に人気があること、高い技術を持つ中華街のコックたちによる色、香り、味すべてが揃った中国料理はまるで芸術作品のようで、中国の飲食文化の美しさを表すだけでなく、人々を味で楽しませられることに気がつき、一時は料理に傾倒した。日本語学校を卒業後、彼は東京の調理師専門学校に進学した。学ぶ中で、彼は日本がすでに栄養失調の時代から栄養過多の時代になっており、美食が過ぎると糖尿病、心臓病などの「ぜいたく病」を引き起こしやすいことを知った。調理師の資格を取得したら、美味を提供するだけでなく、調理技術によって人々の健康を増進させたいと考えるようになった。彼は寝食を忘れ、努力して研さんを積み、働きながら学び、1年後には調理師の資格だけでなく、栄養士の資格も取得したのである。

調理師専門学校で得たものは大きかった。調理技術と栄養学の分野は言うに及ばず、さらに重要なことは彼の先見性と先駆性が磨かれたことである。調理師と栄養士という二つの国家資格があれば、彼の日本での将来は完全に保証されていた。しかし、旺盛な知識欲と探求精神が彼を新しい事業とさらに価値のある人生の開拓へと向かわせた。彼は自身がまだ若く、探求の歩みを調理師という仕事で止めてしまうことはできないと考えた。彼は調理師として働きながら勉強を続け、1990年にはYMCAで国際貿易と英語を学び、1992年には関東学院大学経済学科に進学した。

彼の大学卒業時はまさにITの波が日本に起こり、ウィンドウズ95が発売され、多くの企業や人々がコンピューターの魅力に引き寄せられた。王遠耀はIT業界には将来性があり、これは今までにないチャンスであり、人生の新しい選択をする時だと感じたのである。自身の専門はITではないが、学んだ販売や管理の知識をIT分野に生かすことができるので、そうすれば単純なIT技術の仕事よりはさらに意義があると考えた。

この記事のコメントを見る

レコードチャイナでは在宅翻訳者コラムニスト中国語ガイドを募集しています。

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携