珈琲海岸 2016年7月29日(金) 20時50分
「写真はドキュメンタリーとアートの中間でありたい」と考える写真作家・珈琲海岸が発表した連作「魔界」には、どのようなメッセージが込められているのか?そこには、自然のもたらす神秘的かつ霊的な風景の裏に隠された意味があった。
「写真はドキュメンタリーとアートの中間でありたい」と考える写真作家・珈琲海岸(カーフェイハイアン)は、「ドキュメンタリーの記録性を信じない」「アートにつきものの作為と苦悶を好まない」という理由で、写真の持つ効能をどちらかに絞ることを拒否している。そんな彼が発表した連作「魔界」には、どのようなメッセージが込められているのか?
身の引き締まるような清冽な冷気を感じさせる、北国の自然を写した風景。舞台となっているのは中国北部の聖山・長白山のふもとに流れる[女乃]頭河。清朝を興した愛新覚羅家の始祖を産んだ仙女の母乳が川になったとの伝説がある美しい河川だ。
作者はこの川を魔界と呼んでいる。毎年11月を過ぎ、気温が零下20℃を下回るころ、川の両岸は真っ白な樹氷に囲まれる。早朝になると一帯は霧に覆われ、川面からは立ち枯れの木々が覗き、神秘的であるとともに妖しげな空気を放つ。しかし、「魔界」という呼び名にはもうひとつ理由がある。この風景が決して自然によって形作られたものではなく、人間の所業によるものだからだ。
この河の朝霧は、上流にある火力発電所から流れてきた熱水から発生したもので、川面に立つ枯れ木は人間による伐採の痕跡、あるいは環境の変化によって枯れてしまったものである。川の近くには不動産開発プロジェクトが進行中であり、数年後にはこの“魔界”の風景も消えゆく運命にある。「魔界」という表題には、自然のもたらす神秘的かつ霊的な風景と、人類の愚行に対する風刺の二重の意味が込められているのだ。(文/山上仁奈)
●珈琲海岸(カーフェイハイアン)
中国のフリーカメラマン。5歳で暗室での現像作業に触れ、失敗に終わるも、30代で一眼レフでの撮影を正式に始める。写真愛好家サイトや自身のホームページで発表する作品が人気を集めている。思考や理性ではなくインスピレーションを重視しており、作品の解釈も見る人それぞれに任せるスタンスだとしている。代表作に「魔界」「迷境」「色と情感」など。
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