日本僑報社 2025年1月26日(日) 13時0分
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「中国人だけあって、囲碁が得意だね。」。そう言われるたびに恥ずかしくなります。
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「九の十二、三コウ。」
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「三の十、食う。」
「あら、天王山(神の一手)になったね。負けたわ。」
「ありがとう。」
「いつか1回、顔を合わせて囲碁ができたらいいなあ。」
「そうだね、いつか会って勝負したいねぇ。」
祐里ちゃんと初めて出会ったのは2020年の深まりゆく秋のことでした。その年に『ヒカルの碁』が中国でドラマ化され、大ヒットしました。私もそれに惹かれ、原作のアニメまで見ました。SNSで知り合った彼女もそのアニメの大ファンで、とても馬が合うので、大の仲良しになりました。彼女はアニメが好きなだけでなく、わざわざ囲碁を習いに行き、私にも教えてくれました。今では私のほうが彼女よりも上手に打てるようになっていますが。
「中国人だけあって、囲碁が得意だね。」。そう言われるたびに恥ずかしくなります。自国の 伝統文化なのに日本の友人に出会ってはじめてその大切さに気付かされたからです。と同時に、本場の中国の囲碁の文化を彼女に見せたいと思いました。それが叶うのは中年になってからかもしれないと思っていたのですが、去年の真冬に奇跡が起きました。ポストコロナ時代に入り、人々の自由な移動が再び可能になり、国境を越えることも手の届かない夢ではなくなりました。そこで彼女と上海で会って、差し向かいで碁を打ったり、お茶を飲んだり、手をつないで囲碁展覧会を見に行ったりしました。
その日も思いがけない囲碁をして、私が負けましたが、嬉し涙を流しました。そして「手筋」「大局観」のような多くの囲碁用語の起源の話に花を咲かせました。彼女は落ち着いた秀哉名人を好みますが、私は呉清源の変化に富んだ碁風が好きです。私達はやっとお互いの国の本当の文化に触れることができ、魂が相通じることを感じ取りました。国境を越えて対面した甲斐がありました。顔を突き合わせ、心に触れること、それは中日両国の交流にも適用します。
オンラインでも仕事ができて時間が節約できるように見えますが、実質的な交流が少ないのです。AIとの囲碁より、公園や街角の対局のほうがよほど楽しいのもそのためです。私たちは心のどこかでネット上の単純な囲碁よりも顔を合わせて熱く対局することを望んでいるのです。そのアイコンタクト、対戦相手の呼吸、刻々と変わる戦局、緊迫した雰囲気などは、いずれもスクリーン越しには感じられないものです。インターネットが急速に発展し、人類はビッグデータの時代に入りました。このような時代だからこそ、素朴な対面交流がありがたくて大切なのです。
思えば、人類が本格的に世界を認識するようになったのは大航海時代からです。真理に近づくには探求と交流が必要であり、本やパソコンだけではいつまでたっても地球は平面であり、地球村を開拓することはできないのです。
本当の交流とは、顔を突き合わせ、心に触れるものです。「中日平和友好条約」は海を隔てた文書交換ではなく、交流を強化しようという趣旨で結ばれたのだと思います。故人はすでに亡くなっていますが、中日友好交流の貴重な経験を時間の経過とともに風化させるのではなく、古人の知恵の証である囲碁のように扱い、その醍醐味を味わい、ロックダウンせずにすむポストコロナ時代の対面交流にいかすべきです。
中日両国は、対立する敵の関係ではなく、平和的発展のために戦う友軍、つまり「一盤碁」の戦略を維持する友達です。そのため、我々は対面形式で戦略型交流を絶えず増やし、経済文化協力の輪を広げるべきです。物理的にはいつまでもくっつくことはないかもしれませんが、精神的には真摯に信頼し合える仲、世世代代の中日両国民が追求してきた交流の「神の一手」はこれに尽きると思います。
■原題:囲碁の知恵とポストコロナ時代の中日交流
■執筆者:趙志琳(吉林大学)
※本文は、第19回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「囲碁の智恵を日中交流に生かそう」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載・編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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