和華 2024年10月21日(月) 17時30分
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「お金持ちの普段着、庶民のおめかし着」と呼ばれるようになった秩父銘仙は全国に普及し、各地域ごとに発展を遂げた。
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秩父は山に囲まれた盆地で、また市内に荒川が通っているため水田が作れず、稲作に向かない地域だった。この地域の発展と人々の成長を支えてきた伝統的な産業は養蚕業であり、織物業だ。古代の崇神天皇が国造りとして任命した「知知夫彦命」が秩父地域にこれらの技術を伝えたことが始まりとされている。朝廷に献上したり、鎌倉幕府関東武士軍の旗指物として用いられたのだ。南蛮渡来の布地である「シマ物」の製織に成功したことが現在の秩父銘仙につながっている。
その後、幕府の衣冠束帯の正服に「根古屋絹」が採用されたことで、「裏地は根古屋」という評判が広がり、秩父は裏絹の産地として、江戸以外にも京都などの関西織物問屋とも関係が深くなり、消費は一気に全国に広がりを見せることに。一方、江戸の庶民の間では、歌舞伎役者が着こなした璃寛縞や頴割縞などの粋な着物が大流行したので、秩父ではこのような縞柄を繭玉の丈夫な糸や規格外の繭=クズ糸を使い「太織」と呼ばれる野良着を生産した。江戸の庶民の間で秩父絹の太織は「鬼秩父」と呼ばれ、粋で堅固な絹織物として江戸っ子の心をつかんだ。
このように「お金持ちの普段着、庶民のおめかし着」と呼ばれるようになった銘仙は全国に普及し、各地域ごとに発展を遂げた。
秩父地域出身の坂本宗太郎氏に「ほぐし捺染とは明治41年に特許が取得された技法」と聞いた。そろえた経糸に粗く緯糸を仮織し、そこに型染めをして製織する技法だ。糸に型染めをするため、表裏が同じように染色され、裏表のない生地ができあがる。そのため、色彩豊かな大柄の模様銘仙が作られるようになったそうだ。
秩父銘仙は自然に恵まれた土地らしく、草木を図案化した植物柄、特に花柄模様を得意とし、銘仙の特徴である大きな柄を配した模様銘仙を数多く発表している。見る角度により玉虫色に変化する織地もその特徴の一つであり、これは縦糸と横糸に補色(色相関での反対色)を使用することで得られる効果だ。秩父銘仙は畳まれているときは一見地味に見える着物だが、人間の体にまとい、光が入って初めて立体感が出る着物と言われている。
伝統工芸が盛んな地域はいずれも後継者問題に直面している。秩父銘仙も例外ではない。ピーク時は秩父だけで年間240万反も生産し、秩父の一大基幹産業にまで発展。市内に構える織物工場は、大正時代のピーク時には500~600軒もあり、人口の約7割が織物に携わっていた。
しかし、戦後に着物離れが進み、銘仙ニーズの下火も顕著に。1996年には捺染工場の事業部門が撤退し、織物製造業者は捺染、整理部門を他の産地に頼らざるを得ない事態となる。
1998年には埼玉県繊維工業試験場秩父市場が廃止され、原系、整織に関する検査、研究方法が狭められるなど、織物産地としての損失は絶大なものとなった。今では市内に構える秩父銘仙の旗屋は4軒しか残っていない。
秩父銘仙を作るにあたり、養蚕から製糸、糸操から仮織、型彫り、捺染から蒸熱、製織などさまざまな行程が必要で、いずれか一つが欠けても秩父銘仙は完成しない。コロナ禍には市内で唯一のほぐし捺染専門の加工場が閉鎖され、整理工程は県外に外注するしかない状況が続いた。
また、対外販売に入るべき問屋がおらず、販促につながる対外PRから販売まで全ての作業を旗屋が担わなければいけないことも大きな問題だ。この現状を解決するには秩父銘仙の露出度を増やしてニーズを向上させること、後継者を増やすことが必要となってくる。
取っ掛かりとして、県内外で行われる展示会や工芸品紹介のイベントで秩父銘仙を紹介。秩父市内の旅館とコラボして女将に秩父銘仙の着物を着てもらう。
また、銘仙を使った生活用品の開発や、秩父市の姉妹都市である北欧スウェーデンのシェレフテオ市にある博物館で展示会を行うなど、さまざまな取り組みを行ってきた。
「ちちぶ銘仙館」は、秩父織物や銘仙に関する貴重な資料を収集、保管、展示し、これらの資料を永く後世に伝え、あわせて伝統的技術を継承することを目的として設置された施設だ。1930年に建造された旧埼玉県秩父工業試験場を利用している。2001年10月には国の登録有形文化財に登録されるなど、昭和初期の面影を残し、著名な米国人建築家ライトが考案した大谷石積みの外装と昭和初期の特徴的な装飾が調和した建物だ。
「ちちぶ銘仙館」は、博物館のように学芸員がいて見学するだけの施設ではなく、体験を中心とした秩父銘仙と触れ合う空間を目指している。秩父独特の技術であるほぐし捺染を使った染物体験や、型染め体験、織体験などが体験できる。コロナ前は職人たちの当番制だったことから、これらの体験の多くが事前予約制で突然来訪する外国人の対応が難しかったことが課題だった。
しかし、コロナ禍で休館になったタイミングで運営方針を再検討し、今ではいつ誰が来ても常駐する職員が体験を担当できるように研修し、コロナ明けのインバウンド対応に備えている。
最近は中国系の観光客が数多く訪ねるようになり、それ以外にもヨーロッパ系で日本への短期研修などで訪日する青少年が団体で捺染を体験することも増えてきた。伝統工芸の体験なので、まずは気軽に体験できるプログラムを数多く設け、秩父銘仙に触れて興味を持ってもらうことが大事だと考えている。
このようにして、伝統工芸が有名な地域に共通している「職人の担い手を数多く育成しよう」といった課題に常に努力を続けている。
2013年に国の伝統工芸品に指定されたことで助成金を利用することが可能になり、現在でも月に3回の講座を設け、3年間かけて後継者を育成する講座を開講している。この講座に参加しているメンバーは、地域おこし協力隊に参加している人や、西武線沿線などに住んでいる人など、秩父市外から来る人が増えてきたのも、このような取り組みの成果と言えるだろう。
今後も「ちちぶ銘仙館」を起点として、県内外での催しに秩父銘仙などを出展したり、イベントを企画するなど、秩父銘仙の魅力を発信していく。(提供/日中文化交流誌「和華」・編集/藤井)
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