中国を侵略した日本軍の「満洲農業移民入植図」が初公開、中国東北部の長期占領企図を証明

CRI online    2024年9月17日(火) 21時50分

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九・一八事変の発生から93周年を迎えるにあたり、東北烈士記念館は初めて国家一級文化財である1939年の「満洲農業移民入植図」を公開しました。

九・一八事変の発生から93周年を迎えるにあたり、東北烈士記念館は初めて国家一級文化財である1939年の「満洲農業移民入植図」を公開しました。

東北烈士記念館のスタッフによると、「満洲農業移民入植図」は1939年(昭和14年)に日本の拓務省(日本帝国主義政府が設立した植民地統治を専門に担当する政府機関)が出版し、日本の杉田屋印刷所が印刷したものです。この図からは、旧日本軍が中国東北部を占領した後、計画的かつ組織的に大規模な移民を中国東北部に送り込んだ詳細な状況がはっきりと見て取れます。これは、日本が中国を侵略し、移民を進めたことに関する貴重な資料の一つであり、日本が中国東北部を長期にわたって占領しようとした歴史的証拠でもあります。

日本の拓務省は1935年7月、中国東北部の永久的な支配を実現するために、「満洲移民の根本方針に関する覚書」を策定し、これに基づき「20年間で100万戸500万人を移住させる満洲開拓政策案」を作成しました。1936年5月、日本の広田内閣はこれを「七大国策」の一つとして実施を開始しました。1945年までに、合計で800以上の日本の開拓団が中国東北部に侵入し、東北地方の住民の耕作地150万ヘクタール以上を強奪しました。

これらの「開拓団」は決して荒地を開発したのではなく、「軍の銃剣」を用いた「強制的な買収」を行い、中国の農民が何世代にもわたって耕作してきた土地を奪ったのです。開拓団の村落の周囲には防御工事が施され、兵士と武器も配置され、「戦時は兵士、平時は農民」という武装侵略の性質を明らかに持っていました。1945年8月の日本の降伏後、ほとんどの開拓民は順次帰国させられました。(提供/CRI

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