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日本の海で36時間漂流した中国人女性が激白(2/2)=「救助されて真っ先に発した言葉は…」

Record China    2024年7月17日(水) 21時0分

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日本の海で36時間あまりに渡って漂流した後に救助された中国人女性が、自身の体験について語った。

日本の海で36時間あまりに渡って漂流した後に救助された中国人女性が、自身の体験について語った。中国メディアの三聯生活週刊が16日付で報じた。

(前編から続く)

また夜になりました。周囲は闇に包まれて、また前夜の苦痛がやってくるのかと怖くなりました。その夜は波がさらに高く、昼間に海で拾ったほうきのような形状をした物体で波から顔を守りましたが、波に乗ってきたおそらくクラゲのような青い生物がその物体に巻き付き、私の左手の甲が刺されました。傷口が赤く腫れ、痛みを感じて怖くなりました。

その後、私の目の前に突然、一緒に旅行に来た友人が現れました。彼女は私に「なぜ船に向かって助けを呼ぶの?。バカね、横にバスがあるじゃない。それに乗ってここを離れればいいのよ」と言い、私に1足のスリッパを渡してきました。私はもう自分が地面に立っているような感覚を覚えましたが、浮き輪を取らなきゃと振り返ったところで、海水にむせて夢から覚めました。

日が昇り始めるところでした。体にはもうほとんど力が残っておらず、浮き輪だけが命綱だと意識しました。ですが、浮き輪すらしっかりとつかめず、腕は体を、首は頭を支えられなくなってきていました。私は、次に来る船が最後の望みだと思いました。身長158センチ、体重60キロ。過去に何度もダイエットをしてきましたがリバウンドを繰り返して悩んできました。でも、海の中では自分の脂肪に感謝しました。

目が覚めてからしばらくして、黄色い貨物船が目に入りました。それは初めて見た、船員が乗っている船でした。貨物船は止まりました。私は英語で「泳いで行けないので来てもらえませんか」と叫び、こちらに来るのに燃料がかかるのを嫌ってきてくれないのではないかと考え、船員に「お金は払います」とも声をかけました。でも、彼らはまだその場にとどまったままでした。

この船は30分してもその場を離れませんでした。続いて白い大型船がやってくるのが視界に入りました。船員は、泳いでそちらに向かうとジェスチャーで知らせてくれ、私は可能な限り彼らの指示に従いました。彼らは木製のはしごを用意し、救急用のオレンジ色の浮き輪とロープを下ろしてきました。当時力を使い果たしていたので、自力ではしごを上ることができませんでした。

年齢がやや高いベテラン風の船員が海に入り、私の状況を確認してから船に戻り、追加のロープを持ってきて私の脇の下に固定して、他の船員らと協力して引き揚げてくれました。船に上がって私が真っ先に発した言葉は、左手の甲を見せて「このクラゲに毒はあるか教えてもらえますか?」でした。

船員たちは大きな毛布で私をくるんでくれ、飲料水をくれました。寒さで震えて立つこともできませんでしたが、休んでいるうちに徐々に体力が回復しました。船員はみな男性でしたがとても親切にしてくれ、着替えや水、靴を用意し、髪の毛を乾かせる場所も教えてくれました。ある人は私のためにおかゆを炊いてくれましたが、海上保安部のヘリコプターが20分余りで迎えに来たため、残念ながら食べることはできませんでした。

あのベテラン船員は自分は医師だと言い、体温や心拍など簡単な検査をしてくれ、舌を確認して大丈夫だとOKサインをしました。また、「どのくらい漂流していたの?」と聞かれ「3日」と答えたら、彼は最初「3時間」と勘違いしました。慌てて訂正すると、とても驚いていました。船でもうすでに意識ははっきりしていて、船員と冗談を言ったりもしていました。自分のことを“Joy”だと自己紹介したベテラン船員は「中国人はすごい」と言って親指を立てました。

それからヘリコプターと救急車で病院に運ばれました。病院では一緒に旅行に来た友人と抱き合いました。会う人みんなから「あなたはとてもラッキーだ」と言われました。当時はまだ知りませんでしたが、私が行方不明になってから私の中学や高校、大学の友人たちがグループを作り、互いに知り合いではないのに協力して民間の救援隊を探すなど、私を見つけるために動いてくれていました。

みんなは奇跡だと言いますが、ちょっと大げさだと思います。元々は不慮の事故ですし、自分がうっかりしていたせいでもあります。私はいわゆる完全な被害者ではありません。私は死への恐怖と生への欲望によって危機を乗り越えることができました。多くの人が「自分なら3時間も耐えられない」と言いますが、みんな自分を過小評価していると思います。もし自分一人になったら、自分は強いと信じてみてください。

13日に帰国してから、両親は私にメンタルケアを受けさせようとしましたが、私の精神状態を見てその必要はないと思ったようです。なぜなら私が「まず泳げるようにならなきゃ」と言ったからです。(翻訳・編集/北田

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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