金正恩総書記を呼び捨て、サムズアップ連発、ソニー製のヘッドホン…北朝鮮の新曲「親近なる父」が話題

北岡 裕    2024年5月20日(月) 21時30分

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北朝鮮が発表した新曲「親近なる父」が話題になっている。写真中央は日本でも知られるアナウンサーの李春姫(リ・チュニ)氏の同動画内でのサムズアップ。

北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国がこのほど発表した新曲「親近なる父」の動画が世界的に話題になっている。金正恩総書記の名前を呼び捨てにする歌詞のほか、連発されるサムズアップにガッツポーズ、表情豊かに口ずさむ人民の姿、収録スタジオで「もっとやれ」という表情をしてソニー製のヘッドホンを装着したサウンドエンジニア、タクトをぶん回すコンダクター、拳を振って歌う女性歌手など、映像を見て驚いた。

朝鮮労働党機関紙「労働新聞」もこの歌について「苦難と試練が重なるほど温かく、世上にうらやむことのない幸せを抱かせてくれる偉大な父(=金正恩総書記を指す)に対する熱火のような敬慕の頌歌(=称える歌の意)であり、私たちの運命も未来もただその懐に任せ、その導きに従い天地の果てまで行こうという北朝鮮人民の一つの心を示す頌歌だ」(4月20日付労働新聞1面、著者訳)と絶賛を惜しまない。

ティックトッカーらがこの曲に合わせて踊っている映像も出ており、話題は世界に広がっている。

私は映像には衝撃を受けたが、歌詞にはそれほど衝撃を受けなかった。確かに北朝鮮において最高指導者を呼び捨てにする歌は珍しいが、「親近なる父」は金正日総書記の時代の「親近なるその名」のまさに本歌取りと言えるからだ。

「親近なるその名」の1番の歌詞を引用してみよう(著者訳、以下同)。

「母という言葉と同じく優しく 師という言葉と同じく親近

喜びの中でその名前を呼ぶ時 胸の中に明るく日が昇る

歌おう金正日 われらの指導者 誇ろう金正日 親近なるその名」

今回の「親近なる父」の1番の歌詞も引用してみよう。

「歌おう金正恩 われらの領導者 誇ろう金正恩 親近なる父

母の懐のように温かく 父の懐のように慈悲深く

その膝下に1000万人の子を抱き 情を尽くし世話をしてくださる

歌おう金正恩 偉大なる領導者 誇ろう金正恩 親近なる父

人民は心一つに信じ従います 親近なる父」

非常に似ていることに気づくだろう。金正日総書記を「母と師」と位置付けた「親近なるその名」。金正恩総書記を「母と父」と位置付けた「親近なる父」。「親近なる父」は家族的つながりをより強調している。

「父」と訳した言葉は朝鮮語の「オボイ」で、北朝鮮では両親や最高指導者を示す言葉だ。ちょうど韓国では5月8日が「オボイの日」(両親に感謝する日)だったのだが、韓国人の友人によると、韓国ではオボイという表現はこの日くらいしか使わないという。

北朝鮮に関する知識の深い在日コリアンの方数人とこの歌について議論した。「この歌は金正恩時代の新たな始まりを意味する。金正恩時代は一つの段階に到達した」との見解で一致した。

一方で「金正恩総書記は自らを称える歌や宣伝する事業はあまり好まないのではないか」と私は考えていた。その点でこの歌は衝撃的だった。金正日時代をほうふつさせるような歌をなぜ今?というのが疑問だった。

思慮の末、私は金正恩総書記の自信と覚悟が現れたものと判断した。以前コラムでも言及したが、私は2010年10月、金正恩総書記の公式デビュー直後に訪朝している。この際に当時デビューしたばかりの銀河水管弦楽団の公演を見たが、上演開始を告げるアナウンスで「尊敬する金正恩青年大将同志」という表現があった。

当時まだ20代の金正恩総書記は若かった。金正日総書記も存命だった。青年大将同志という尊称は早々に消え、やがて元帥様という表現が定着した。

しかし、金正恩時代は決して順風満帆ではなかった。金正日総書記の死去、厳しい経済と経済制裁、人事、米朝首脳会談や南北首脳会談などの厳しい外交戦、新型コロナの影響など、なるほど先の労働新聞の記事にも「苦難と試練が重なるほど温かく」とあるわけだ。

今ようやく、その苦難と試練を越えられるめどが付いたと判断したのではないか。米韓との離隔は進んだが、中ロとの関係はより強固となった。経済問題や国内の諸問題など他の問題も解決できるという自信の裏打ちではないか。

この歌は世界でも影響があるだろう。「親近なる父」を耳にして北朝鮮に興味を持つ人もいるだろうし、今はまだ難しいが一度訪問してみようと思う人も少なからず出るはずだ。北朝鮮は世界に例がなく独特な存在で、レトロなエッジが効いて映(ば)える魅力があるかもしれない。北朝鮮を訪問した人はお金を落としていく。この「親近なる父」は北朝鮮のイメージを変え、インバウンド需要を喚起し、北朝鮮経済を回復させる起爆剤になる可能性を秘めている。北のクリエーターと、この歌の制作にGOサインを出した北朝鮮の首脳部が、そこまで緻密に計算していたとしたらすごいことだ。

40代を迎えたばかりの金正恩総書記は世界各国のリーダーと比べて圧倒的に若い。健康問題が懸念されるが、あと30~40年はトップとして君臨するだろう。

青年大将の時代、十余年の曳航の時代は終わり、自らの腕(かいな)でこぎ出すことを金正恩総書記は改めて決意した。オボイ(父)と呼ばれることと、その名にふさわしい環境を人民に用意することを覚悟し宣言した。つまりこの歌はオボイ(父)の出帆を告げるファンファーレではないかと感じている。そしてその動きはわれわれの想像を超えた大胆かつ早急なものになるのではないか。

蛇足だが、「今後5年以内に金正恩総書記の徽章や肖像画が一定数普及する」という点について、この歌について議論した在日コリアンと私の見解は分かれた。「普及する」と主張する私に対し、「普及しない」という在日コリアン男性。果たしてどちらが正解だろうか。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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