百数十年前に米国に渡った中国人労働者が克服した大きな試練とは

中国新聞社    2024年1月13日(土) 23時0分

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米国で19世紀後半に完成した大陸横断鉄道には、米国を真に形成した大きな意義があった。とびきりの難工事に従事した主力は、中国人労働者だった。写真は同鉄道の建設を紹介する展示。

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米国では19世紀後半、東部と西部を結ぶ大陸横断鉄道の建設が実施された。米国は大陸横断鉄道の完成によって、ハワイやアラスカなどを除いた主要部分が本当に一つになったと言える。鉄道建設に最大の労働力を提供したのは中国人で、860年代には約1万2000人の中国人労働者が大陸横断鉄道の建設に携わっていた。すべての鉄道労働者のうち、中国人が約85%を占め、うち70%以上が広東省江門市の五邑地区の出身だった。スタンフォード大学「鉄道中国人労働者プロジェクト」の特別貢献賞の受賞者で、五邑大学広東僑郷文化研究院・建築学部の譚金花教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、当時の中国人労働者の状況や、「米国の建設」に果たした役割を紹介した。以下は譚教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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19世紀後半の米国での鉄道建設の主力だった

中国人が労働者として米国に渡ったきっかけは鉄道建設でなく、1848年に米国西部で金鉱が発見されたことだった。五邑地区出身者は大量に渡米して、金鉱探しやその周辺の仕事で生計を立てた。1850年代には、米国在住の中国人がサクラメントとサンホセ(サンノゼ)を結ぶ鉄道の建設工事に参加した。米国初の大陸横断鉄道が建設された1863年から1869年にかけては、中国人労働者が次々に工事に加わった。現場の中間管理職になった五邑の出身者が一時帰国して、多くの同郷者を連れて工事現場に戻ることもあった。

米大陸横断鉄道は、セントラルパシフィック鉄道(CPRR)とユニオンパシフィック鉄道(UNP)が共同で建設した。CPRRの高級幹部4人はカリフォルニア出身だったので、中国人をよく知っていた。彼らは中国人の労働力に注目した。UNPは路線の東部分を担当したので建設時には中国人労働者を募集しなかったが、完成後の保線作業のために中国人を雇用した。

米大陸横断鉄道の開通は1869年5月10日だった。それまで6カ月かかった米国東部から西部までの移動がわずか1週間に短縮された。

中国人労働者はその後も、米国の鉄道建設の主力でありつづけた。スタンフォード大学のシェリー・フィッシャー・フィッシャー教授の研究によると、中国人労働者は1870年代から80年代にかけて、米国の鉄道70路線以上の建設に次々に参加するなどで、米国の鉄道事業に大きく貢献した。


「石にかじりついて」でも難工事と厳しい環境に耐える

中国人労働者の大部分は広東省の珠江デルタ地域の出身だった。つまり温暖な気候の低地で育った。そんな彼らが、米大陸横断鉄道では標高2100メートルのシエラネバダ山脈を横断する鉄道を建設した。中国人労働者は高山の希薄な酸素と身を切るような寒さと氷雪に耐えながら橋梁50カ所とトンネル10本以上を建設した。中国人特有の苦労に耐える精神、聡明な才覚が発揮された。

ブルーマー渓谷地帯の建設では、中国人労働者がザルに乗って高さ1400メートルの崖の上から吊り下げられて、崖面に穴を開けて火薬を仕掛け、点火してから仲間に引き上げられた。引き上げが間に合わなくて爆風で吹き飛ばされたり、綱が岩にこすれて切れてしまい、谷底に転落して死亡した事例もあった。米国人技術者は中国人労働者の知恵と度胸に舌を巻いた。

シエラネバダ山脈のドナ峠のトンネルも難工事だった。硬い花崗岩質の岩盤を1600メートルも掘り進まねばならなかった。工事を急ぐために中国人労働者は寒い山頂付近で24時間体制の交代作業を行った。山頂の花崗岩に縦穴を開けて地中に入り、ロープで人を入れて東西方向に爆破しながら横穴を掘った。多くの人が爆発に巻き込まれて命を落とした。花崗岩を貫通するトンネルの完成はまさに奇跡で、中国人労働者の大胆不敵な精神のたまものだった。

高山地帯での作業で、冬は厳寒に苦しめられた。広東から来た労働者は故郷に伝わる知恵で、生姜湯で体を温めた。夏は熱い日差しが照りつけて気温がセ氏40度以上に達し、さらに足元の岩からも熱が反射した。中国人労働者は冷茶を飲む広東人の風習を踏襲し、熱中症の問題を解決した。

両国労働者が共に努力したことで米国が「完成形」に

米大陸横断鉄道の完成により、米国の東西両岸の経済と文化の往来が大いに加速した。米国史の転換点だった。大陸横断鉄道は、米国の工業力の発展の象徴でもあった。米国人歴史家のジェームズ.P.ロンダ氏は、米大陸横断鉄道は米国西部を世界に向かわせただけでなく、世界に米西部を追加したと論じた。


この鉄道の完成により世界から隔絶された場所だったカリフォルニア州の発展が加速し、同州は米国で経済が最も繁栄する州になっていった。「中国労働者が鉄道を建設し、鉄道が米国を形成した」と言えるだろう。

米大陸横断鉄道は中米両国国民が共同で建造したものだ。当時のダニエル・クリーブランド弁護士は駐米清国公使に宛てた書簡で、「中国人労働者がこの偉大な大陸横断鉄道を建設したことは、われわれの時代の比類のない最も素晴らしい進歩であり、成果です。この鉄道は米国人労働者と中国人労働者がそれぞれ大西洋側と太平洋側から工事を進め、急速に接近中です。彼らはすぐに出会い、それぞれの仕事の成果を結びつけることができます。その時、中国とアメリカは手を握り合い、互いに支え合い、同情し合い、利益を共有することができます」などと記述した。

米労働省は2014年5月、鉄道建設に従事した中国人労働者を栄誉記念堂に登録した。彼らは同記念堂入りした最初のアジア系グループになった。この栄誉の意義は、米国国民に、中国人労働者が大陸横断鉄道の建設に参画した歴史をしっかり認識してもらうことにある。両国国民が共に鉄道建設に努力したこの歴史は、現在そして未来の両国の民間交流にとって、重要な布石の役割を果たすはずだ。(構成/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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