旧日本軍慰安所、上海に160カ所超―中国メディア

Record China    2014年8月13日(水) 20時13分

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11日、中国慰安婦問題研究センターのセンター長を務める上海師範大学人文伝播学院の蘇智良院長は、「旧日本軍が上海に設置した慰安所は160カ所を上回ることが判明した」と話した。写真は南京の旧慰安所史跡。

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2014年8月12日、中国新聞社によると、中国慰安婦問題研究センターのセンター長を務める上海師範大学人文伝播学院の蘇智良(スー・ジーリャン)院長は11日、「われわれが21年間にわたり調査した結果、旧日本軍が上海に設置した慰安所は160カ所を上回ることが判明した。上海は旧日本軍の『慰安婦』制度が最も完備されていた都市と言えよう」と話した。

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上海市政治協商会議の主催による「第2次上海事変77周年記念座談会」が11日、上海で開催され、蘇智良院長は、「慰安婦」制度と上海との深い関係性という点から、旧日本軍の「性奴隷制」という重罪について論じた。

世界的に有名な専門家である蘇院長は、旧日本軍の慰安所が世界で初めて設置された都市は上海だったとの認識を持っている。旧日本海軍陸戦隊司令部は1932年1月、「大一沙龍(サロン)」や小松亭など虹口にあった日本の風俗店4軒を、海軍の特別慰安所に指定した。その後すぐに第1次上海事変が勃発、旧日本軍上海派遣軍の岡村寧次副参謀長は、海軍のやり方をまねて、関西地方から女性を募集して初の陸軍「慰安婦団」を設立、呉淞や宝山などの前線の陣地に次々と慰安所を開設した。この時の「慰安婦団」は、日本陸軍が初めて「慰安婦」制度を導入、構成した組織で、その後の旧日本軍全体の「慰安婦」制度の見本となった。中国東北部を占領した旧日本軍は、東北の各地にも慰安所を続々と設立した。

蘇院長は、「日本軍国主義は、中国に侵略する過程で、軍隊の性奴隷制である悪名高き『慰安婦』制度を作り上げた。しかも、非人道的なこの戦争犯罪は、上海という土地と密接な関係がある。1937年に日本の中国侵略戦争が全面的に始まった後、『慰安婦』制度も急速に普及、上海には旧日本軍のための『合法強姦センター』が続々と誕生した」と指摘した。

旧日本軍の性奴隷制は、数十万に上る中国人女性に耐え難い苦難をもたらした。蘇院長は、1910年に小崑山で生まれた女性の事例を取り上げ、詳しく紹介した。1928年に結婚した朱(ジュウ)さんは、上海商務印書館で製本工として働いていた。1932年、旧日本軍が商務印書館を爆撃、破壊したため朱さんは失業、崇明廟鎮に疎開し、「永興館」という小さなホテルを経営して生計を維持した。1938年春、旧日本軍が崇明を占領、現地の女性7人に「慰安隊」のメンバーになるよう強制した。不幸にも旧日本軍の「性奴隷」となった朱さんは、1939年に旧日本軍が崇明から撤退するまで、慰安所で働かされた。旧日本軍の野蛮極まる行為によって、朱さんは深刻な婦人病を患い、精神的にも深い傷を負った。2005年2月20日、朱さんは崇明の自宅で、病気で息を引き取った。享年95歳だった。

「慰安婦」問題が浮上したのは、1990年代初めだった。各国からの圧力を受け、1993年8月4日、河野洋平内閣官房長官(当時)は談話を発表、「慰安婦」制度によって、数多くの女性が心身にわたり癒やしがたい傷を負ったことを認め、日本政府からの心からのお詫びと反省の気持ちを表明した。この「河野談話」は、「慰安婦」問題に対する日本政府の基本的な立場を代表するものとなった。だが、その後、日本政府の一部の右翼的な官僚は、さまざまな場所で、理解しがたい談話を発表し、「慰安婦」という歴史的事実を否定し、史実を捻じ曲げようとしたため、「慰安婦」問題は、日本とアジア近隣諸国との間に残された歴史的問題となった。

「日本が今もなお、旧日本軍が作った性奴隷制という非人道的な犯罪行為に対して、深く反省している様子が見られないことは、本当に残念なことだ」と蘇院長は語った。(提供/人民網日本語版・翻訳/KM・編集/武藤)

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