中国を代表する車種「紅旗」がたどった紆余曲折の道とは―“生き字引”が紹介

中国新聞社    2023年12月3日(日) 23時0分

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中国を代表する高級車ブランドの「紅旗」だが、その歴史は紆余曲折に富んだものだった。一時は「落ちこぼれ自動車」になってしまった「紅旗」だが、現在では見事に復活を遂げたという。

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自動車、特に乗用車は、国の工業力が如実に反映される製品とされる。部品の種類が極めて多く、さらにその部品を作るための素材についても高度な技術水準が要求されるからだ。中華人民共和国で初めて乗用車が製造されたのは1958年だった。その時代から現在まで続くブランドが紅旗だ。紅旗の歴史は順風満帆ではなかった。しかし紅旗は復活し、高級車としての地位を回復させた。紅旗を製造する中国第一汽車集団(以下、一汽)系列の販売会社で働く潘成氏は、約20年間も紅旗関連の資料を収集・整理してきたことで、現在では「紅旗のことなら潘成氏に聞け」と言われる存在だ。潘氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、紅旗の特徴やその歴史を紹介した。以下は潘氏の言葉に若干の情報を追加することも含めて。再構成した文章だ。

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「一窮二白」の下で作り上げた紅旗が最重要VIPの専用車に

紅旗の歴史は1958年に始まった。ただし紅旗は中華人民共和国で初めて製造された乗用車ではない。紅旗が完成したのは8月で、約3カ月前の5月には「東風」いう乗用車が完成していた。東風と紅旗は、いずれも一汽が開発を手掛けた。東風汽車集団という自動車メーカーがあるが、この会社は中国で2番目の自動車会社として64年に設立された会社だ。


紅旗と東風は中国中央の指令によって開発が始まった。中央は59年10月1日の建国10周年の式典に自国製の乗用車を使おうと考えたからだ。一汽の従業員は吉林工業大学から借りた米国製高級車の1955型クライスラーを土台にして、手作業で「紅旗」高級車を作り上げた。一汽では59年5月までに、紅旗が5回にわたって試作された。この紅旗にはCA72という型番号が与えられた。

10月1日の天安門前広場の式典には、紅旗CA72が1台と、それとは別にオープンカー仕様の紅旗2台が登場した。外国メディアは中国が乗用車を完成したことに驚き、盛んに報道した。当時の中国は、指導者だった毛沢東主席自身が「一窮二白」、つまり「第一に貧困であり、第二に文化が空白」と表現したほど遅れた国だったからだ。

1960年代からは、紅旗に関連する技術水準がどんどん向上していった。紅旗は高級車として、利用できる人も限られていた。中国人の場合には、政界で副大臣以上の地位を持つ者だけだった。それ以外は、中国を訪れた外国の要人の中でも、中国が極めて重視する人物だ。移動のために紅旗を提供することは、外国人の賓客に対する最高の礼遇の一つと見なされた。

社会主義経済の時代の中国には、一つの製品に多くのブランドを作る必要性は乏しいという考え方があった。資本主義のような競争は資源の浪費を招くので、中央による計画に従って生産すればよいとの考えが強かった。したがって、紅旗は中国で唯一の高級車ブランドになり、中国の工業製品の一つのシンボルにもなった。

「落ちこぼれ車」になった紅旗の回復への道

しかし、競争原理や市場原理が働かない状態で、中国の経済や技術が立ち遅れたことは、今となれば周知の事実だ。改革開放が本格化していった80年代には、紅旗は燃費が悪く、製造コストが高いなどで、製造中止に追い込まれた。それまでの約20年間で製造された紅旗は、累計でわずか1540台だった。

しかし、中国が「改革開放」の旗を高く掲げ、外資と先進技術を広く誘致し、中国人自身が懸命に努力したことで状況は変化した。一汽は紅旗を復活させた。90年代末ごろに紅旗の派生タイプを次々に登場させ、最終的に「CA7220小紅旗標準型」の大量生産を開始した。この紅旗は、市場で利益を得ることに成功した。

つまり、60-70年代の紅旗は中国の自動車工業の象徴だったが、改革開放後は中国を象徴する自動車ブランドという重責を担うと同時に、市場経済の下で生き残れる車種であることが求められることになった。

一汽は2018年1月、紅旗についての新たなブランド戦略を発表した。それ以降の紅旗の成長は、まさに奇跡だった。紅旗が誕生して65周年の23年には、紅旗の販売台数が5年前の65倍を超えた。

かつては手作業で作られていた紅旗が、海外から導入した組み立てラインで製造されるようになった。かつては海外の技術を参考にしていたが、現在では全面的に自主開発する状況になった。紅旗の歴史から分かるように、中国の自動車企業の自主研究開発の実力は、質的な飛躍を実現しつつある。

紅旗ブランド車はここ数年来、多くの国際的な重要イベントで使われている。ユーラシア経済フォーラム、APEC(アジア太平洋経済協力会議)会議、G20サミットなどだ。特に「紅旗L5」は超高級な製品としての位置づけと超豪華な乗車体験により、中国外交儀礼用車両とし採用されることが多く、重要な外交の場にもたびたび登場している。

民族の魂である紅旗の特別な地位

紅旗ブランド車のデザインは民族的な雰囲気が強い。最初の紅旗を例にとると、同車両のエンジンフードの先端には風になびく紅旗のマークがあり、扇面形のフロントグラスは中国人の「善」を基本とする中国人の理念を象徴している。さらに中国の伝統建築の梅花窗のデザインのウインカー装飾板などもある。車の内外の至る所に民族の特色が濃厚に打ち出されている。1960年の海外のモーターショーでは、ある有名な外国人の自動車デザインの専門家が紅旗を見て、「東洋芸術と自動車技術を結合した模範だ」と述べた。

2013年、紅旗ブランド初の高級カスタムモデルである紅旗L5が登場した。この車は、従来の紅旗の特徴である前高後低の船のようなボディデザインを受け継ぎつつ、威厳を持ち前進する精神を示している。車体のデザインは「山と水」がテーマで、ヘッドランプやエンジンフードは起伏に富んだ山の形状をなし、グリル部分は水の流れを表現し、「動中に静を見、静かにして山を観る」といった情景を演出している。車のフロントエンブレムには、伝統的な中国の赤色が使用された。


中国では「如意」と言う言葉が、縁起がよいとして好まれてきた。「なにごとも意のままに」、つまり願ったことが、そのまま実現するということだ。紅旗L5はまた、「如意」をテーマに「バランスと対称」の美が追求された。操縦席まわりの計器類は、全体として「大如意」のイメージが意識された。また、液晶デジタル計器も採用された。つまり古い中華文化と現代技術の結合だ。

また、ドアハンドルは、四つの「小如意」を示す形状で、それぞれに雲龍紋の白玉(はくぎょく)がはめ込まれた。中国では、君子の徳は玉に例えられた。つまり白玉を採用したことは、中華民族が徳を追求することの象徴だ。

紅旗ブランドには各発展段階で、異なる意味があった。1958-64年は「苦難に耐えての出発」、1964-81年は「自力更生」、1981-2005年は「共同開発」、2005-15年は「自主開発」と「ブランドの復活」、2016-17年は「重要技術の掌握」と「ブランドの振興」、18年以降は、中国式の「高尚主義」だ。紅旗は誕生から現在まで、中国の工業の発展を生き生きと反映してきた。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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