中国の怪奇小説集「聊斎志異」から伝わってくることは何か―西洋との比較交えて紹介

中国新聞社    2023年11月23日(木) 19時50分

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蒲松齢による「聊斎志異」は怪奇小説集だ。世界の各民族の神話や奇譚はその民族の文化に強く影響される。聊斎志異にはどのような文化が反映されているのだろうか。

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蒲松齢(1640-1715年)による「聊斎志異(りょうさいしい)」は怪奇小説集だ。世界のどの民族も神話や奇譚(きたん)を伝えているが、そのような物語は民族の文化に強く影響される。聊斎志異の物語には、中国文化のどのような面が反映されているのだろうか。また、中国とは文化の大きく異なる西洋で、聊斎志異はどのように受け入れられてきたのか。山東大学文学院教授で、中国聊斎学会設立準備委員会の会長でもある王平氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、聊斎志異の特徴や西洋での受け入れの状況について紹介した。以下は王教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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人情味に富む「聊斎志異」の怪奇な世界

蒲松齢の「聊斎志異」は約500編の短編作品から成る小説集だ。ほとんどが超現実的な表現手法を用いて現実社会を反映したり、嘲笑したり、批判したり、理想を託したりしている。表面上は奇怪に見え、不条理な物語すらあるが、その実質は社会の現実と密接に結びついており、意味深遠だ。魯迅先生は「出于幻域,頓入人間(幻の域から出て人の世に入る)」の8文字で聊斎志異この特徴を概括した。

聊斎志異は中国の文語小説の集大成だ。この分野で最高傑作とも言われる。このように高く評価されているのは、蒲松齢の天賦の文学才能により、物語が独特で鮮明な審美的特徴を帯びているからだ。

蒲松齢は人と亡者の恋、人と妖怪の恋を描くことが実に巧みで、生死を超えた真摯な愛を表現できた。千々に乱れる心を表現して、読む人の涙を誘い、感動させる。次に、聊斎志異は「幻想的ではあるが奇妙ではなく、奇妙でありながら不自然ではない」という特色を持つ。読む人は自らが体験するように実感するが、そこには玄妙で幻想的な世界が繰り広げられ、現実と幻を結合させ虚実が絡み合う芸術効果がみられる。

聊斎志異では特に、愉悦の表現が際立っている。亡者や妖怪の描写にすぐれ、物語の構成が巧みで、ユーモアもあるなど、多くの特徴がある。聊斎志異に登場する亡者や妖怪は人情に富み、親しみやすく、「異類の存在であることを忘れ、何かの折に改めて異類であることに気付かされる」といった存在だ。

中国人にとって怪奇な存在も人と対立するものではなかった

西洋でも多くの神話や怪奇作品が生み出されたが、聊斎志異とは違う。なぜなら文化の背景が違うからだ。より具体的に言えば、中国の伝統文化はギリシャ型文化や中東型文化と違いがある。ギリシャ型文化は人と自然の関係を重視し、中東型文化は人と神の関係を重視する。一方で、中国の伝統文化は人と人の関係を重視する。

古代ギリシャ神話の中の妖怪は、ほとんどが人と獣の結合体だ。例えば半人半蛇のエルゲドナ、半人半牛怪物のミノタウロスなどだ。これらの超現実的な形態は、異民族を醜悪視したことや自然物への敵視が反映されている。

西洋人は「自己」以外のものを「他者」として、「他者」を定義することで、自己を認識してきた。自己と他者が相互依存していると言ってもよい。妖怪は「他者」として発生して、凶悪さを象徴する。しかし英雄が存在する限り、妖怪は悪を行うことができない。この善悪の対立関係は、古代ギリシャ人が人の価値を認めたことや自己を肯定したことを示している。

妖怪像は、古代ギリシャ人の自然への畏敬の念の表れでもある。彼らは神秘的で気まぐれな自然や外界を敬い、恐れ、自分では勝てないものを神霊としてその加護を求め、すべての悪いものを妖魔として呪い、神の力で彼らに対抗することで、自分を守り、罪から逃れた。

一方の中国の伝統文化の基本精神は人文主義だ。「人文」あるいは「人道」とは、もっぱら人と人の関係を重視するものだ。中国の小説はこのような人中心、現世を目的とする文化心理の影響を受けて、怪奇を扱う物語でも、人を基盤とした。そして中国人は、小説による世相や人の心を補う作用を重視した。

三国から隋の時代の中国の怪奇小説のいくつかは、仏典に着想を得たものだ。しかし、小説家は宗教家とは違う方向から仏教をとらえた。小説の作者は仏法を広めたり、来世を重視するのではなく、人生の現実を描写しようとした。東晋の史家だった干宝(?-336年)が書いた「捜神記」の中の「盧汾の夢が蟻穴に入る」は、人生は夢のようだと説き、「紫玉韓重」は若い男女の誠を尽くす愛を賛美した。

唐代になると、伝奇小説は現実の人生にさらに密接に結びついていった。李朝威(生没年不詳)の「柳毅伝」は、人と神の恋の物語で、柳毅の正直さと勇敢さが際立っている。沈既済(750-800年ごろ)の「任氏伝」は、狐の妖怪が美女となった任氏の感情の繊細さや聡明さ、勇敢さを賛美している。任氏は結局は人に殉じて命を落とす。魯迅は「今の婦人に及ばざる者あり」と論評した。つまりこの作品は現実の世相を風刺したものだった。

聊斎志異は、物語がいかに幻想的であっても、すべて人生の現実を指向しており、人の価値を肯定して、人文主義の伝統的な文化心理と一致して、同時に鮮明な時代の特色を持っている。

西洋人が聊斎志異を理解することはグローバル化と合致

聊斎志異の最初の刻本である青柯亭本は清の乾隆年間の1766年に登場した後、すぐに海外に伝わった。これまでに英、仏、独、露、日など20以上の言語の選訳本や全訳本があり、西洋の文学、文化、ひいては社会に一定の影響を与えてきた。

西洋の翻訳者は自らの文化環境や文学の伝統に基づいて翻訳対象を選ぶことが多い。翻訳者の国情や民族、身分および問題を考える立場、方法、角度が異なるため、彼らの中国文化に対する認識、理解、紹介、そして翻訳は大きく異なる。

彼らは最初、「聊斎志異」の中の倫理観念や教化思想をあまり考慮せず、面白さに富む作品や想像力が豊かな作品を選んで翻訳した。例えば、最初に外国人に翻訳された2編の小説「梨の種」と「鴨の悪口」は物語性の強い小説で、外国の専門家が目をつけたのは老道士の風変わりな行為だった。しかし、物語で描かれる人々に対する善意や善行にはほとんど関心がなかった。「鴨の悪口」については、海外の翻訳者は妖魔が憑いているなどの部分にさまざまな連想を抱いたのかもしれない。

「聊斎志異」は文語文で書かれており、外国人にとって、原文を読むのは困難だ。さらに難しいのは外国人読者にとって、中国と中国以外では物語の背景が違うことだ。この問題を解決するために、多くの翻訳者は本来の意味を損ねないように気をつけながら部分的な変更を行った。

英国人中国学者のハーバード・ジャイルズは、聖書の中の人物を、斎志異のさまざまな登場人物に割り当てて、読者にその性格を理解させようとした。それ以外にも、聊斎志異に登場する人物を、西洋の神話やローマ時代の人物に変更した例もある。

ただ、西洋の翻訳者や研究者も、聊斎志異が書かれた中国文化をきちんと理解して知識の蓄積を増やすことが、普遍性のある観点の形成に必要と認識するようになった。

海外の研究者の多くはすでに、このことを十分に認識している。彼らは西洋の理論と中国の実際、現実の生活、テキストを詳しく読むなどの要素を結合した上で解釈を行うようになった。

例えば、中国系アメリカ人学者のヤン・ルイ氏は聊斎志異の解釈について、西洋の理論を使用する際には洋の東西の違いや過去と現代の文化の差を無視してはならないと指摘した。その他の研究者も、中国文化の中から西洋の伝統とは異なる考え方や認知態度を汲み取る必要があると論じ、そのことが現代の西洋社会の諸矛盾を解消して、人間性がより強い世界を構築することに役立つなどと主張している。

これらの海外における「聊斎志異」の解釈の試みによっても、中国と外国の文化融合の積極的な取り組みが徐々に蓄積されている。文化の融合をより深いレベル、より広い範囲に推し進めることは、グローバル化時代を迎えた人類にとって、現実的な影響を与えるものだ。(構成 / 如月隼人


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