<面白っ!意外?映画史(1)>『踊る大紐育』、実は『大羅府』?―伝説のミュージカルはどこで撮影されたのか

Record China    2014年8月9日(土) 15時42分

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米国映画の「国技」ともいえるミュージカルの転機となった作品として、コアな映画ファンの間でよく知られているのが「踊る大紐育(ニューヨーク)」(1949年、ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン共同監督)である。写真はニューヨーク。

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米国映画の「国技」ともいえるミュージカルの転機となった作品として、コアな映画ファンの間でよく知られているのが「踊る大紐育(ニューヨーク)」(1949年、ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン共同監督)である。

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なぜ転機かというと、それまで不自然で人工的なセットに閉じ込められていたミュージカル映画を、ニューヨークの街中に開放した作品だと、信じられてきたからだ。なるほど、3人の水兵がそれぞれ3人の女性と恋するという、他愛ないストーリーながら、明らかにニューヨークの市街地で撮影されたらしいシーンがあり、それなりにリアリティーもある。原題は“On The Town”。「パッと行こうぜ」とでもいうべき、当時の若者の俗語だそうだが、直訳すると、「街の中で」ということになる。

しかし、同作が実は「踊る大羅府」だとしたら、どうだろうか。

というのも、同作のDVDを見たところ、最後に「この作品はロサンゼルスで撮影された」とクレジットされているのだ。これは何を意味するのか。

津野海太郎著「ジェローム・ロビンスが死んだ」(平凡社、2008年)によると、共同監督で主演のジーン・ケリーは全編ニューヨーク・ロケを主張したものの、当時のMGMの権力者、ルイス・B・メイヤーがそれを認めず、5日間だけにされたという。ミュージカルを全編、街頭で実写撮影するなどということは、当時としてはあり得ないことだったのだ。しかも、そのうち2日は悪天候にたたられたらしい。結局、ニューヨークの市街地の撮影場面は、一部にとどまったのだ。そして、ほとんどの場面は、ロス郊外のハリウッドの撮影所のセットで撮られることになったのだろう。

 

なお、ロビンスは同作の振付師であり、米ミュージカル映画のもう1つの転機といわれる「ウエスト・サイド物語」(1961年)でも振り付けを行い、ロバート・ワイズと共同監督もした。

 

「ウエスト・サイド」も日本のファンには当初、ニューヨーク市街地でほぼ全編が撮影されたと思われていたものの、実は同市での撮影はごくわずかで、ほとんどはハリウッドでの撮影だったそうだ。ただ、セットとはいえ、本物の市街地並みのリアルさでファンをうならせてくれた。

余談ながら、米ミュージカル映画の大作「南太平洋」(1958年、ジョシュア・ローガン監督)の撮影地はハワイ諸島のカウアイ島だったという。つまり、「北太平洋」だったというわけだ。こんな例は枚挙にいとまがないが……。

川北隆雄(かわきた たかお)

1948年大阪市に生まれる。東京大学法学部卒業後、中日新聞社入社。同東京本社(東京新聞)経済部記者、同デスク、編集委員、論説委員などを歴任。現在ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。著書に『失敗の経済政策史』『財界の正体』『通産省』『大蔵省』(以上講談社現代新書)、『日本国はいくら借金できるのか』(文春新書)、『経済論戦』『日本銀行』(以上岩波新書)、『図解でカンタン!日本経済100のキーワード』(講談社+α文庫)、『「財務省」で何が変わるか』(講談社+α新書)、『国売りたまふことなかれ』(新潮社)、『官僚たちの縄張り』(新潮選書)など。

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