外国語翻訳数が最も多い「ちょっと意外」な中国哲学の書―米国人研究者が紹介

中国新聞社    2023年9月18日(月) 15時50分

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日本で最も多く読まれてきた中国哲学の書と言えば、「論語」ではないだろうか。しかし、さまざまな外国語への翻訳数を累計すれば、「老子・道徳経」が最多という。

日本で最も多く読まれてきた中国哲学の書と言えば、「論語」ではないだろうか。「老子・道徳経」も多く読まれてきたが、「論語」の読者数や影響力には及ばないように思える。しかし、さまざまな外国語への翻訳数を累計すれば、「道徳経」が最も多いという。なぜだろうか。天津市に本部を置く南開大学に在籍する米国人学者のミーシャ・タッド准教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材を受けて「道徳経」にまつわる事情を紹介した。以下はタッド准教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

外国人にとって「論語」よりも理解しやすかった

私が初めて「道徳経」に触れたのは14歳の時だった。きっかけは、学校の社会の授業で、日本の宗教についてのリポートの提出を求められたことだ。私が住んでいた街の図書館には、東洋の宗教や哲学に関する書物があまりなかったので、関連する書籍は全体を簡単に見渡すことができた。その中に、英訳版の「道徳経」があった。中国系学者のジア-フー・フェン(馮家福、1919-1985年)氏と妻のジェーン・イングリッシュ氏による共訳本として1972年に出版された本だった。

「道徳経」が人を引きつける重要な要因に、一文一文は比較的簡単であるが、意味は簡単ではないことがある。古典の中には、あまりにも難解で、少し読んだだけでそれ以上読み進める意欲を失ってしまう書物もある。逆に、少し読んだだけで観点が見えて、続けて学ぶ必要はないと思ってしまう書物もある。「道徳経」はそうでない。常識的なことを語っているように見えるが、同時に深みがあり、完全に理解することはできない。だから、魅了されてしまう。「道徳経」は欧米人だけではなく、イランでもインドネシアでも南米でも翻訳出版されている。「道徳経」のファンは多い。

老子のファンはなぜ多いのか。いくつかの原因があると思う。まず、内容が抽象的であることだ。「道徳経」は具体的な人名や地名に言及していない。中国の具体的な文化に基本的に触れていない。一方で抽象的な理論を述べて、宇宙の原則などを論じている。この特徴が、異文化圏にもより広がりやすい原因の一つではないだろうか。

例えば「論語」の場合、2000年以上前の中国に特有の文化、例えば周から伝わってきた礼楽の伝統が多く取り上げられている。海外の読者だけでなく、現代の中国人も、具体的に感じることは難しい。そのため、論語を読んでも自分の生活とは少し距離があるように感じられる。「道徳経」はそうでない。説かれている道理や知恵は、読者がどこにいても、どんな言葉で、どんな文化的背景があっても、比較的容易に受け入れられるものだ。これが「道徳経」の異文化圏への発信力という点での強みだ。

また、「道徳経」の海外の「ファン」の多くは、訳本を1冊だけを読むのではなく、さまざまな訳本を読むことが多い。それぞれの翻訳者が「道徳経」の同じ部分をどのように解釈しているのか、また他にどんな翻訳方法があるのかを比較することが多い。読者は必ずしも中国語を理解しているわけではないが、この方法によって、道徳経の思想の真髄に近づける可能性が出てくる。

今の中国では「道徳経」と呼ぶことが多いが、本来の書名は「老子」だ。よく知られているように、「老子」には訳本が多い。私は、訳本は数百種類だろうと思っていたが、昨年になり出版された「『老子訳本総目録:世界老子学要覧』では、97の言語による2052種の訳本が紹介されていた。予想をはるかに上回る数だった。

道徳経

訳出とは「新たな老子像」を確立する作業

現在見つかっている最古の「老子」全訳本は西暦1729年よりも前に制作されたラテン語版で、全部で245ページある。所蔵しているのは大英図書館だ。私はこの書物の写しを持っており、年内に欧州大学出版社から出版するつもりだ。その次には、現存する19世紀までの「老子」の翻訳版、15言語・71種をまとめて出版する予定だ。

膨大な数の訳本が存在することは何を意味するのか。私は、「道徳経」の訳本は、歴史上の注釈本に似た役目を果たしていると考える。注釈本は通常、まず逐語的に解釈してから、文全体の意味を説明する。これは一種の翻訳作業と言える。訳者も注釈本の筆者と同様に、まず原文を読み、その単語の意味を説明し、その哲学的な意味を説明する。訳本と注釈本の制作過程はほぼ同じだ。

「道徳経」の翻訳では、言葉が追加されたり割愛されることがあるが、私は「道徳経」の本来の姿を損ねる行為とは考えない。それぞれの翻訳版が「道徳経」についての新たな発見をしていると考えるべきだ。歴史上は河上公(生没年不明、紀元1世紀から5世紀)、王弼(226-249年)、成玄英(生没年不明、7世紀中盤ごろ)、王安石(1021-1086年)などが「道徳経」の注釈を書いているが、その中の1つだけが「道徳経」の哲学を真に代表しているとは言えないだろう。同様に、それぞれの翻訳者はそれぞれの立場を翻訳本に込めている。

西洋人の「道徳経」理解については、早い時期には宣教師が中国に来て、カトリックの立場から「道徳経」を解釈した。その後は、「道徳経」の歴史性を強調して、書かれた当時の文化の文脈における「道徳経」の意味を追求した翻訳者もいる。また「心の栄養」バージョンの「道徳経」の訳本もある。すなわち中国の哲学や、文化、歴史を知らない人でも「道徳経」に込められる生活の知恵を学べる訳本にすることを意識した翻訳だ。

現在では「道徳経」を読んで、生態系保護と関係があると感じる人もいる。環境問題が普遍的な脅威になったのは20世紀以降と考えてよいだろう。「道徳経」と環境問題を結び付けて考えることは、現在の世代が掘り起こした「道徳経」に対する新たな解釈だ。「道徳経」をめぐる思索がより豊かになった現象だ。

新組織が設立、資料を整備し世界の研究層を厚くする

南開大学哲学学院では今年7月「全球老子学研究センター」が設立された。「道徳経」とその解釈、翻訳を研究する組織だ。老子の思想の伝播は全世界の現象だ。すなわち「道徳経」を生み出したのは中国人だが、「道徳経」はすでに中国だけの経典ではなくて、全世界の経典だ。

センターはまず、「道徳経」のすべての訳本と注釈、さらに可能であれば、すべての現代中国語の良質な訳を収集する方針だ。次は、世界の老子学の研究者の層を厚くする作業を進める。異なる国や異なる母語の専門家を結びつけ、全世界のネットワークを形成する考えだ。

私は北京語言大学世界中国学センターの招待を受けて、第3回文明交流相互参照対話会兼第1回中国学者世界大会に参加した。私はこのイベントで、ポルトガル語版の「老子道徳経河上公注」を出版したブラジル人の中国学者であるジョルジオ エリック シネディーノ デ アラウジョ氏と知り合った。私は博士時代から河上公の著作を研究してきた。「同業者」に出会ったのは初めてだった。(構成/如月隼人

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