中国人がブラジルでよく「日本人だろう?」と言われるのはなぜなのか?―中国紙

Record China    2014年7月8日(火) 3時50分

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5日、都市快報は、サッカーのワールドカップが行われているブラジルで、中国人がたびたび日本人に間違えられるとし、その原因について日本とブラジルのつながりの深さを紹介している。写真はブラジル。

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2014年7月5日、都市快報は、サッカーのワールドカップ(W杯)が行われているブラジルで、中国人がたびたび日本人に間違えられるとし、その原因について日本とブラジルのつながりの深さを紹介している。

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ブラジル人は非常に誠実である。アジア系の顔を見れば、「日本人だろう?」と言うのが彼らの最初の反応だ。このことから、日本とブラジルの深いつながりが見てとれる。

1822年の独立直後、ブラジルは労働力不足に悩まされたため、当時のブラジル政府は人口の多いアジア、特に清朝に対して移民を呼びかけた。その際、ブラジル政府は3つの条件を提示した。1つはブラジル国籍を取得すること。2つ目は単身ではなく世帯で移住すること。3つ目は農工業者であることだった。しかし、国力が強大であった当時の清国政府はそのような条件を受け入れなかった。

そこでブラジル政府は日本に目を向けた。狭い国土で人があふれていた日本は、二つ返事でこれを受け入れた。1908年に781人の日本人移民を乗せた船が、神戸からサンパウロに向けて出港した。これが日本からブラジルへの初めての移民となった。その後、日本人の間にブラジルへの移民ブームが起き、1925〜1941年に17万人以上の日本人が移住した。このブームは1945年の終戦まで続いた。

1959年から、第2次移民ブームが起きたが、日本経済の成長とともにブームは下火になっていった。また、第3次の移民として、1980年代末に2万人あまりの日本人の児童がブラジルへサッカーを学びに行ったと言われているが、この数字を証明する確かなデータは存在しない。

サンパウロにある「東洋人街」は日本人が作ったため、当時は「日本人街」と呼ばれていた。日本人は非常に賢い。ここには多くの日本商店があり、陶磁器や食品、木製品が売られているが、果物の砂糖漬けやゴマ団子など、明らかに中国伝統の食べ物まで日本食品として売られている。われわれが注意していなければ、さらに多くの中国食品の“特許”が、日本人のものになってしまうだろう。(翻訳・編集/TK)

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