「易経」には“暗号”が隠されている、読み解けば意外な史実が判明―中国人専門家が解説

中国新聞社    2022年11月10日(木) 21時30分

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「易経(周易)」は「占いの書」として知られる。しかし「乾坤藏史策——<周易>密碼解鎖」(乾坤藏史策——“周易”の暗号を解く)などの著作がある郎宝如氏は、「易経」の内容は史実を反映したものと説明する。

紀元前8世紀頃に原型が整ったとされる「易経(周易)」は「占いの書」として知られる。「易経」は、中国の古代思想が盛り込まれている書としても注目されてきた。中国古典の研究者で「乾坤藏史策——<周易>密碼解鎖」(乾坤藏史策——“周易”の暗号を解く)などの著作がある内モンゴル大学の郎宝如教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、「易経」の記述には「暗号」が込められており、それを解き明かさないと理解したことにはならないと解説した。以下は郎教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■他の書物と綿密に比較検討すれば、「易経」に歴史が盛り込まれていることが分かる

「易経」は、まずは占いの書だ。ただし、その一連の記述は、西周(紀元前1100年ごろ-同771年)の建国の状況を反映している。つまり歴史書でもある。しかし、通常の歴史書なら必ず書かれる時間や場所、具体的な人物や事件は書かれていない。歴史的事実の情報は、いわば「暗号化」されている。その暗号を解読すれば、「易経」を歴史書として読み解くことができる。

「易経」だけを読んでも、その「暗号」を解き明かすことはできない。「易経」を含め、春秋時代までに書かれた重要な古典を「六経」と総称することがある。「易経」を理解するためには、「六経」の他の5冊と比較対照せねばならない。

「易経」中の「蠱の卦」を例にしよう。この部分は、「ここに腐敗しきったものがあれば、大きな川を渡るような冒険をしても、よい結果を出せる」という意味のことが書かれている。そして「先甲三日、後甲三日」(甲に先立つこと三日、甲におくれること三日)という記述があるが、あまりにも抽象的で、まさに「暗号」だ。

そこで他の書物を調べる。「周礼・春官宗伯」には、「大神を祀(まつ)る場合、大鬼に供え物をする場合、大示を祭る場合にはいずれも、官僚に実施する日を占わせる」との記述がある。「大神」とは大いなる神であり、「上帝」と呼ばれる場合もある。「鬼」は死者の霊魂を指すので、「大鬼」とは先祖の霊だ。

「示」は「祇」と同じと考えられる。古い時代の記述には、このような漢字の用法が時折見られる。「祇」とは「地祇」のことであり、つまり「社稷」のうちの「社の神」だ。社稷を祭ることができるのは天子だけなので、この部分は天子についての記述と分かる。

では天子が「大神」あるいは「上帝」や先祖の霊、社の神の全てに祈りを捧げるのは、どのような場合なのだろうか。そのことの理解に結びつくのが、王の行動規範を説いた「礼記・王制」だ。そこには「天子が出征する際に、上帝には類の祭りを、社には宜の祭りを、祢には造の祭りをする」と言う記述がある。「祢」は先祖の霊のことだ。「類」、「宜」、「造」の3種の祭りの実態ははっきりしないが、祭りを捧げる対象は「上帝」、すなわち「大神」と、「社」すなわち「祇」と、「祢」すなわち「先祖の霊」だ。「周礼・春官宗伯」と「礼記・王制」は、祈りを捧げる対象が重なっている。

つまりここまで紹介した3例は、いずれも戦争と関連していると考えられる。そして、ここでよく考えておかねばならないのは、抽象的な思想や認識は、それに先立つ事実によって形成されることだ。特に中国では、実際に起こったこと、すなわち歴史を振り返ることによって、思想が形成される傾向が強い。

つまり、上記3例は、実際に起こった戦争に関連して、具体的なことには触れずに「物事とはこのようなものだ」と示していると考えられる。そこで、歴史を具体的に記述している「史記」を調べる。すると「周本紀」に「武王十一年、二月甲子、商(殷)の牧野に至る」との記述がある。周の武王が殷を滅ぼした「牧野の戦い」についての記述だ。しかも、2月の「甲子の日」とある。これは易経の「蠱」が、「甲の日」を持ち出していることにも合致する。すなわち、易経の「蠱」は「牧野の戦い」、すなわち周の建国にとって極めて重要だった出来事に関連する記述と理解できる。


■「尚書」には文献史、「三礼」には制度史、「詩経」には詩史の側面がある

「易経」の記述が歴史上のどの事実に基づくものかを特定できれば、その事実の状況についての理解を追加することができる。私が著した「乾坤藏史策——<周易>密碼解鎖」はそのような立場で、「易経」を、周の建国史が盛り込まれた書物として、改めて読み解いたものだ。

残念なことに長い歴史を通じて現在に至るまでも、「易経」などを「史書」の側面から研究する学者はあまり出てこなかった。私は長年続けてきた研究を通じて、春秋時代の終わりまでに成立した書物の中でも、「尚書」は隠された文献史、「三礼」(「周礼」、「儀礼」、「礼記」の三書を指す)は制度史、「詩経」は詩史、「易経」は周の建国史として読めることに気付いた。

ただし、歴史を知るためには個別に読むだけではだめで、さまざまな書物を比較検討することが必要だ。「易経」については、一般的な意味での「歴史書」では触れられていない周の建国期の状況が盛り込まれている。だから私は「易経」を、「隠蔽(いんぺい)された周の建国史」と呼んでいる。この判断に間違いはないはずと信じている。

■難解な「易経」だが、外国人が中国文化を深く知るにはぜひとも必要

「易経」はたしかに難解だ。孔子の言葉の方がずっと分かりやすい。それは孔子が、合理主義を確立したからだ。しかし孔子は「易経」の影響を強く受けた。つまり「易経」は、漢民族の文化という「長城」を築くために最初に置いたれんがに例えることができる。

だから、「易経」を理解することは、中国の文化を理解する上で、極めて重要だ。しかし外国では「易経」の理解が進んでいない。古くから中国の思想になじみ、研究も続けられてきた日本の状況も同様かもしれない。というのは、日本人の学者による「中国思想史研究」という著作の中国語翻訳版に「易経」についての記述があるので目を通したが、認識はまだ浅いと感じたからだ。

現在に生きるわれわれが「易経」を読む目的は、吉凶を占うことではない。中華文化を継承し、発揚するためだ。従って、「易経」が説く内容を「未来の予測」して信じても、意味はあまりない。読みながら、よく考えねばならない。「易経」だけを読だのでは不十分だ。他の書物を多く読んで比較をすれば、「易経」が説く内容の何が重要なのか、分かってくるはずだ。

外国人が中国を理解するために、孔子と老子だけにたよったのでは不十分だ。その土台にある「易経」を知らねばならない。まずは信頼できる訳本が必要であり、その上で「易経」についての最新の研究成果を紹介する著作が必要だ。「易経」の内容に忠実であると同時に、理解しやすく興味深く読める著作だ。「中国の物語」を国際的に広く知ってもらうには、そのような著作の出現がとても重要だ。(構成 / 如月隼人

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