外交トップに抜擢の王毅氏、駐日大使時代に筆者に示した「本音」―習主席も日中友好を志向

八牧浩行    2022年10月25日(火) 7時0分

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駐日大使を務めた知日派の王毅氏が中国外交を仕切る党中央外事工作委員会の事務局トップに就く。王氏は党序列200位以内の中央委員から24位以内の政治局員に抜擢された。

中国習近平国家主席は王毅国務委員兼外相を共産党政治局員に昇格させた。王毅氏は米国や日本の台湾問題への関与に反発する強硬発言を繰り返しているが、駐日大使を務めた知日派でもある。王毅氏は中国外交を仕切る党中央外事工作委員会の事務局トップに就く。退任した楊潔篪党政治局員の後任で、王氏は党序列200位以内の中央委員から24位以内の政治局員に抜擢された。

王毅氏は中国外交部の日本語を専門とする「ジャパンスクール」出身。2013年、発足したばかりの習指導部の下で外相に就任。この数年はコロナ禍で中国の高官が外遊を控える中、極めて精力的に外遊を続けた。

1953年生まれの王毅氏は、高校卒業後の1969年から8年間、黒竜江省で「下放」を経験する。その後、25歳で北京第二外国語学院に入学し、日本語を専門に学んだ。29歳で中国外交部入りした苦労人だ。王毅氏は外交部で日本部門を中心に頭角を現し、2004年9月から2007年9月まで駐日中国大使を務めた。

◆王毅氏「日本が好きだ」

筆者はこの間に度々、個人的に取材したことがあるが、極めてタフでアグレッシブだった。「日本部門は(外交部で)長らく不遇だったが、ようやく活躍できるようになった」と明かし、「日中関係改善へ尽力したい」というのが口癖だった。

赴任した2004年当時は、小泉純一郎首相の全盛時代。首相の靖国神社参拝問題がくすぶり、日中間には微妙な問題が影を落としていた。

「一人さえ辞めれば後はうまくいく」と、王毅氏は筆者に話したことがある。「一人は誰?」と訊いたら、小泉首相のことだった。用意周到に様々な情報を調べ上げていた。

日本語、英語が堪能で、持ち前のフットワークを多方面で発揮。様々なパーティやシンポジウムで出会ったが、陽気に筆者に話しかけ、日本の政財言論界にもネットワークを広げていた。「日本が好きだ」と言っており、日本各界には「王毅ファン」も多かった。

◆安倍首相の中国訪問をお膳立て

2006年9月、小泉首相が任期満了で退任。後継の安倍普三首相は、小泉氏の靖国参拝問題のために途絶えていた、中国への首相の訪問を同年10月に実現。首相就任後の初外遊となり、北京で胡錦濤国家主席と会談。戦略的互恵関係構築で合意した。安倍首相の中国訪問や合意文書交渉などでは、駐日大使として奔走。安倍首相や政財界首脳クラスとも良好な関係を築き上げた。

中国外交部門のトップは政治局員で「中央外事工作委員会弁公室」の楊潔篪主任が長年勤めていたが、退任することになったため王毅氏はその後任となる。楊氏は上海外国語大学英語科卒。これまでの外交トップは米国大使を務めた米国通が占めることが多かった中で「日本スクール」の王氏の「出世」は異例だ。

王毅氏は2013年の外相就任後は日本に厳しい発言を繰り返してきた。王氏は今年9月の国連総会での演説で「中国統一の偉大な事業を阻むいかなるたくらみも必ず歴史の車輪に砕かれるだろう」と強い口調で米国や日本をけん制した。中国共産党内では「日本通だけに『日本に甘い』と誤解されないよう日本に強い態度で臨んでいる」と見方もある。

◆浙江省トップ時代の習近平氏、日中交流を推進

習近平氏は日本企業が多く立地している福建省省長、浙江省や上海の党トップを務めた経験から日本企業の実力や人脈を熟知し親近感を抱いているという。当時の習氏を知る日本企業関係者は「とても話しやすく我々の要望に応えてくれた」と回顧する。ともにお茶の産地である静岡県と浙江省は「友好県省」関係にあり、習氏が同省党トップだった時代に静岡県知事として交流した石川嘉延氏は「友好イベントや若い世代の相互交流でとても協力的だった」と振り返る。

石川氏の後任の静岡県知事・川勝平太氏は2010年正月に石川前知事とともに訪中、北京・人民大会堂で習近平国家副主席と会見した。川勝知事は「会見はとても和やかだった」と述懐する。2010年後半に予定されていた上海万博に「静岡から『3776友好訪中団』を送ると話したら、習氏は3776という中途半端な数字は何ですかと尋ねたので日本では小学生でも知っている、富士山の高さですと答えたところ、話が弾んだ」という。この時の静岡県民の訪中団はその数字をはるかに上回り、大成功だった。

習主席は外交トップに就任する王毅氏の行動力を高く評価。日中両国は関係安定化のために協力の道を模索することになろう。岸田首相と習主席による首脳会談実現をはじめ日中友好に向けた外交的な進展を期待したい。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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