「客家の民」とはどのような人々か、なぜ世界に広がったか―専門家が歴史と現状を紹介

中国新聞社    2022年10月17日(月) 23時30分

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中国では南部を中心に客家(はっか)と呼ばれる人々がいる。彼らは海外にも移り住み、例えばシンガポール首相を務めたリー・クアンユー氏のように現地に貢献する人も輩出した。写真は広東省深セン市内の客家村。

中国では人口最多の民族である漢族以外に、55の少数民族が認められている。一方で、中国には客家(はっか)と呼ばれる人々がいる。文化面で独自色があるが、少数民族ではなく漢族の一支族とされている。なぜなのだろう。また客家の中には大きな業績を上げた人物も珍しくない。例えば中華人民共和国建国時期に最も重要な軍人の一人だった朱徳(1886-1976年)も客家の一人だ。そして客家の人々は海外に移住することも多かった。海外で名を残した客家の人物としては、例えばシンガポール首相を長年にわたって務めたリー・クアンユーがいる。客家の伝統とないかなるものなのか。そして、移住の状況はどうなのか。現在竜岩学院福建台客家研究院院長などを務める張弦章氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、客家にまつわる状況を説明した。以下は張院長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■客家は戦乱を避けるため、古い中原文化を保ちつつ中国南部に移った

客家の歴史をたどると唐代(618-907年)末期から宋代(960-1279年)や元代(1279-1368年)にかけての形成期と、明代(1368-1644年)の発展期がある。また明末からは絶えず国外に移住して再発展する時期を迎えた。客家の人々の故郷は黄河中下流の中原だったが、南に移住した人々の居住地域は福建、広東、江西などに広がった。

史料によると、客家族は戦乱により一族がまとまって南遷した。客家の人々は安定して暮らせる地域を求めた。従って中国南部の省境に多く住んでいる。もともとの住人が少なかった山間部などで、農地などを開発したわけだ。とはいえ、地元住民との文化の融合が発生し、独特な客家文化が形成されることになった。別の言い方をすれば、客家文化は山地文化、移民文化、儒教文化などの複合体だ。

中原文化とは黄河中下流域の物質文化と精神文化の総称であり、中華文化の母体であり根幹と公認されている。客家文化の起源は中原文化だ。先祖を特に崇拝する点など中原文化の特徴がしっかりと残されている。また、地域ごとに同姓の人々が住んでいる。これも古い中原文化の特徴だ。

河南省の洛陽は、客家の人々にとって重要な「父祖の地」だ。2024年にはこの洛陽で「第33回世界客属(客家属)懇親大会」が開催される。世界客属懇親大会は華人の重要な催しの一つだ。中国内外に居住する客家人が、国境を越えた交流を行う重要な場であり、各国そして各地域の客家の人々が経済協力や文化交流を展開する重要な舞台でもある。

■2段構えで世界に広まった客家の人々、移り先で重要な貢献をする人も

客家の人々は世界に広がった。全世界の客家人口は1億人程度とする説や1億2000万人程度とする説がある。いずれにしろ人口が大きいので影響力も大きい。

客家が世界に進出したのは明代から清代(1644-1912年)にかけてだった。福建、広東、江西では客家の人口が急増したために、生きていくことが難しくなったからだ。まず、かつては南洋と呼ばれた東南アジアに大量に移住して労働者になった。さらにその後、世界各地に再び移住した。客家の人々は海外と広東の各港、福建省の泉州や厦門(アモイ)などの港を結ぶ貿易にも従事した。「海のシルクロード」を移動する仕事に従事したことが、客家の人々が世界に向けてより広がっていくことを促進した。

新しい調査と統計によれば、東南アジア以外で客家の人が集まって生活する地域があるのは英国オランダオーストラリア、カナダ、パナマ、米国、キューバ、ガイアナ、スリナム、ブラジル、パプアニューギニア、モーリシャス、ペルー、アフリカなどだ。アフリカの居住地は主に南アフリカに存在する。これらの地域に住む客家の人々は、毎回の「世界客属(客家属)懇親大会」に積極的に参加している。

世界に広がった客家の人太は、中華文化の優れた伝統を維持している。例えば、国を愛し故郷を愛する心、文化や教育を重視すること、互いに親睦しあって団結すること、開拓精神などだ。客家の人々はこのような性質を持っていたので、世界各地に根を下して発展できた。また、立派な業績をあげる人が輩出した。一例を挙げれば、シンガポールを独立期からけん引し、長年にわたって同国の首相を務めて国としての方向性を定めたリー・クアンユー氏も客家だった。

■これからの時代は自らの文化を大切にすることと異文化に学ぶことの両方が必要

客家の人は「祖先から伝わった田畑を売るようなことはあるかもしれないが、祖先の言葉を忘れてはならない」という言い方をする。客家の人が集まって住む場所には祖先を祭る祠(ほこら)が必ずある。客家の人は必ず家系図を持っている。これらにより、客家の人は自分のルーツを常に意識することになる。彼らにとって言葉もアイデンティティーの中核部分にある。だから多くの人は今も客家語を使うことができる。

このような性質により、世界各地で「客家村」が形成されることになった。オーストリアのウィーンにある客家村では、結婚式の際に住人全員を招待する。またオーストリア客家同協会は、同国で初めて結成された華人組織だ。

海外に渡った客家の人々は、彼ら自身が持つ中華文化を世界各地に伝えた。それと同時に、彼らは世界各地の文化を中国国内の出身地にもたらし、経済発展の促進にも積極的な役割を果たした。

われわれは、祖先から受け継ぐ伝統や文化を大切にして、その発揚に努めねばならないが、現在を生きるわれわれに求められていることは、それだけではない。東西文明の通路であり続けた「シルクロード」は今や、かつてない規模と影響力を持つ「進化型シルクロード」に変貌したと見なしてもよい。我々は客家精神を発揚すると同時に西洋文化との交流をさらに強化し、客家文化と西洋文化が互いを「かがみ」とする、新たな枠組みを切り開かねばならない。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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