ランニングに受験…、中国で盛んな「代行」は万物で可能か―中国メディア

Record China    2022年9月25日(日) 10時0分

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中国ポータルサイトの百度に21日、「万物において『代行』は可能か」とする中国青年報の記事が掲載された。

中国ポータルサイトの百度(バイドゥ)に21日、「万物において『代行』は可能か」とする中国青年報の記事が掲載された。以下はその概要。

運動をしなければ現代生活における「見下しの連鎖」の底に落ちてしまうことをご存じだろうか。「運動」はその人が「成功者」かどうかを測る基準なのだそうだ。どこでかは忘れたが、「スタイルをコントロールできる人は自分の人生をコントロールできる」という文を見たことがある。現代社会において運動は自慢に使える一種の資本となっているが、ネットでシェアされたり見られたりしたものには偽物の可能性がある。

最近の報道によると、規定の距離を走ればメダルがもらえるチャレンジイベントをある人気フィットネスアプリが始めた。一部の人はメダルを気に入ったが走りたくはない。そこでこうしたメダルをめぐる「ランニング代行産業チェーン」が誕生した。5キロ20元(約400円)で、1日に100件以上の注文を受けてそれを実際の代行者に振り分ける人もいる。代行者も本当に走ることはせず、電動自転車に乗るはずだ。

ランニング代行の利用は確かに自分の時間と労力を節約できる。支払うお金はわずかだ。歩数によって(その方面のアプリでの)ランキング入り、優待券などが簡単に手に入る。結局、彼らが本当に興味を持っているのは運動そのものではなく、歩数と交換できるものなのだ。

高校生の頃、食堂に行くクラスメートに食べ物を代わりに買って来てもらう人がいたが、当時は「代行」に大きな問題があるとは思わなかった。大人になってから代理購入や代理出産、運転、撮影、受験、病院付き添い、墓参り、論文執筆などの代行を見たり聞いたりした。一つまた一つと代行の産業チェーンが生まれ、少なくない人の生活、学習、仕事の一部になっている。まるで私たちが生活するこの時代は自分の人生劇を演じるために多くの代役を必要としているかのようだ。だが、日常生活の中でランニングは代行できても病気を代行する人はいない。病院への付き添いは代行ができても孝心を自分の代わりに持ってくれる人はいない。生活は劇ではなく、本物の身代わりを見つけられる人はいないのだ。(翻訳・編集/野谷

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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