ビッグデータ利用で杜甫や李白ら歴代詩人の「番付表」作成―研究者が紹介

中国新聞社    2022年7月19日(火) 12時30分

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中国では古くから数多くの詩が創作されてきた。詩を記した歴史的な書や書籍も多く残っている。写真は河南博物館の収蔵物。

日本でも中国で古くから作られてきた詩、日本風に言えば「漢詩」の世界に心を奪われる人は多い。どの詩人の作品が、どの詩が本当に素晴らしいのかと気になるが、確固たる結論を出すのは難しい。しかし、ビッグデータや人工知能を駆使すれば、どの詩人のどのような作品が後世に大きな影響を与えたかを、客観的に判断できるという。以下は、ビッグデータや人工知能を使った詩人や作品の評価に取り組む四川大学文学および報道学院の王兆鵬教授が、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて説明した言葉に、若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

注:中国では文字として読まれ朗読された作品を「詩」、本来は旋律に乗せて歌われた作品やそのような作品の様式などをとどめた作品を「詞」と呼んで区別する。作られた時代にもとづいて「唐詩」、「宋詞」などと呼ばれる場合もある。「詩」と「詞」をまとめて「詩詞」と称する場合もある。

■唐代と宋代は中国史上、詩歌の創作のピーク期だった

唐代(618-907年)と宋代(960-1279年)は中国の詩歌の創作のピーク期だった。現在まで伝えられる唐詩は5万編を超えるが、後漢から隋末まで約600年間に作られた詩歌は5000編余りしか残っていない。唐代には詩人として名を残す人も急増した。

宋代は「詞」のピーク期だった。詞人は1497人の名が残る。作品数では2万1085編だ。唐代の詞の作者として名が残るのは5人だが、作品集が残るのは3人のみだ。作品集が残る宋代の詞の作者は300人以上にも増えた。作品集が多くあるということは、作品数が多く、知名度が高く、社会からの需要が高かったことだ。

ただ、現在に残る「宋詞」は「唐詩」に比べれば少ない。というのは「宋詞」は歌曲として歌われたものであり、口頭で伝えられただけで文字としては残らなかった場合があるからだ。例外的には姜夔(1158年ごろ-1231年ごろ)のように、楽譜付きの詞が残っている場合もあるが。

■後世への影響が大きかった作品を「名作」と見なす

文学の発展を考える上では作品数も重要だが、優れた作品が創作されることが何より重要だ。中国の歴史上、偉大な詩人や詞人を多く輩出した時期は間違いなく唐代と宋代だ。そして、文学作品に順位をつけることは、昔から行われてきた。南朝の梁に生きた鐘頭(?-518年)は、「詩品」という著作で漢代以来の詩歌の作者を論評して、上・中・下の三つの等級に分類した。唐代の張為の「詩人主客図」は、中唐から晩唐にかけての一部の詩人に等級をつけた。

詩や詞に限らず、特定の分野の作品について、歴史を通じてどの作者が最も素晴らしかったを論評する文章が書かれたことも、珍しくはなかった。

しかし、かつての批評や順位づけは、すべて個人の主観によるものだった。人によって美や文学に対する志向が違うために、同一人物や同一作品についても、異なる評価が与えられる場合が多かった。例えば元好問、趙秉文、王若虚は蘇軾(1037-1101年)の詞を「古今第一」と評したが、清代(1644-2011年)の潘徳輿は「高く評価しすぎ」と主張した。

現代の計量歴史学はデータで歴史を測ることができる。歴史上の文学を研究することも、歴史学の範疇に入る。従って、ビッグデータを利用して「最大公約数」を見出し、モデルを用いて分析と定量化を行うことで、客観的な答えを導き出すことが相対的に可能だ。

私たちが適用している方法は、歴代の選集に採用された回数、論評された回数、後世の人が「本歌取り」、すなわち後の時代になりその作品の言い回しや情景などを念頭に新たな作品が作られた回数、現代の学者が研究した回数、ウェブサイトで取り上げられた回数などのデータに基づいて重み付け計算を行い、それぞれの作品の影響力を算出し、影響力が強いほど名作と見なすものだ。

■最初は無名だった杜甫、時代を経るにつれ評価が高まった理由とは

現代となっては李白と杜甫の詩集そのものが何種類出版されたか、印刷数はどのぐらいだったかを知ることはできない。しかし李白や杜甫の詩が、どれだけ取り上げられたかは推計できる。私たちの計算によると、宋代においては杜甫の影響力が李白よりもはるかに大きかった。

私たちの解析によれば、唐代の詩人の総合影響力ランキング1位は杜甫(712-770年)で、次いで李白(701-762年)、王維(701-761年)の順だった。作品数が最も多いのは白居易(772-846年)だが、影響力では10位圏外だった。影響力が大きい唐詩の上位100編のうち、杜甫の作品は16篇、李白は13編、王維と白居易は12編だった。

杜甫は唐が盛んだった時代には、ほとんど無名だった。李白は杜甫より11歳年上で、李白が名声を博した時期に、杜甫は単なる文学青年だったと言ってよいほどだ。杜甫は李白の「年下のファン」だったので、李白への思いを込めた杜甫の詩は多いが、李白が杜甫に触れた詩はほとんどない。

杜甫が死んでから何年も経ってから、杜甫の墓誌を書くことを依頼されたやはり詩人だった元稹(779-831年)が、杜甫作品のすばらしさを発見した。その後には韓愈(768-824年)が「李杜(李白と杜甫)の文章があれば光焔(こうえん)は万丈に達す」などと記した。文壇の重鎮が称賛したことで、杜甫の影響力はさらに大きくなった。

かつては人気があったが、今では見向きもされない作品もある。例えば欧陽修(1007-1072年)の詞である「蝶恋花」や「海燕双来帰画棟」は明代(1368-1644年)には評価が極めて高かった。明代の人が詞を言及する際には、必ず取り上げられたものだ。しかし20世紀になると影響力や知名度は極端に落ち込んだ。他にも同様な事例は珍しくない。それぞれの作品について、どうしてそのような現象が発生したかは、研究するに値する。

■データをより多く集めることで、さまざまな解析が可能になる

古い詩や詞の影響力は絶えまなく変化している。偶然の要素が働く場合もある。一つ二つの材料から全面的で客観的、かつ正確な判断を導くことは困難だが、ビッグデータを利用すれば一つの作品の影響力の変化を完璧に示すことができる。サンプルが完璧にそろったビッグデータは存在しないが、人工知能の力を借りて、誤差が最小の結論を出したいと望んでいる。

私がデータを用いて歴史上の詩や詞の分析を始めたのは1992年だ。現在ではデータが豊富になり、モデルも整備された。2000年以降には、データベースには中国のさまざまな時代の作品が、欧米や日本や韓国などにどのような影響を与えたかのデータも蓄積されるようになった。

私たちは現在、古今東西の詩の融合ビッグデータプラットフォームを建設している。すでに100万編以上の中国の古典作品を収集した。20世紀以降に中国語に翻訳された外国の詩や、文学や文化の変革の転機にもなった1919年の五四運動以後に創作された作品十数万編も収集した。郭沫若(1892-1978年)、胡適(1891-1962年)、聞一多(1899-1946年)の中では、誰の影響力が大きいのだろうか。中国で最も影響力の大きい外国の詩人はプーシキンかタゴールかゲーテか。私たちはビッグデータを用いて語っていく。(構成 / 如月隼人




※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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