中国新聞社 2022年7月6日(水) 20時20分
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中国では「脱貧国」が宣言されたが、その後は「農村の新興と建設の力を緩めてはならない」と繰り返されるようになった。写真は農村建設で極めて大きな成果を出したとされる浙江省内の三江口村。
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中国の習近平国家主席は2021年2月、中国は「脱貧困」に成功したと宣言した。「貧困県」や「貧困村」に指定されていた地域も、すべてその指定が解除された。中国では一方で、「農村建設の手を緩めてはならない」と、繰り返し説かれるようになった。手を緩めれば「貧困状態に逆戻り」ということもあり得るので、極めて妥当な主張だろう。中国の西南大学農村振興戦略研究院副院長の潘家恩教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、他国との比較も一部交えて、中国における農村建設の歩みを紹介した。以下は潘教授言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。
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■中国で始まった農村建設の運動は日本の影響を受けていた
近代に始まった中国の農村建設は3段階に分けることができる。第1段階は農村外部の知識人、あるいは地元出身の篤志家が主導した農村救済を目的とした建設運動だ。その端緒となった事例として、清代末期の張謇が江蘇省南通で始めた地方建設運動がある。
1904年になると、河北定県の大地主だった米春明らは同県内の翟城村を模範村として、新しいスタイルの教育を興し、村の規則を制定し、自治組織を設立するなどした。一般住民も大いに自発性を発揮した。この運動はその後の農村建設に大きな影響を与えた。
米春明が農村建設を始めるきっかけは、日本に留学したことだった。彼は、日本の農村の大きな変化を見て刺激を受けたのだった。
日本では20世紀になると、文学者の武者小路実篤らが「新しき村」の思想を提唱し、実際に村の建設も行った。中国でも「新しき村」の運動は広く知られるようになった。中国で農村建設を実際に行った人物の中には、日本での留学経験を持つ者が多い。中国での農村建設は、程度の差こそあれいずれも日本の状況の影響を受けていた。
■試行錯誤はあったが「農村建設」の方針は不変
中国における農村建設の第2段階は、中国共産党が主導したものだった。1950年代の土地改革は、それまで社会の最下層とされていた人々を全面的に動員した。読み書きの普及や水利施設の建設、生産のための組織づくりなどの運動を通して、農村建設の理念と作業が推進された。それ以前との大きな違いは、個別の有志による運動ではなくて、国家建設の一環として全国規模で実施されたことだ。
一時は人民公社の設立など、極端な集団制が導入されたが、改めて生産請負制度が導入されると農民の生産性は大いに向上した。しかし1980年代に産業資本の拡大とグローバル化が進むと、生産請負制度だけでは限界があることが明白になった。
そこで政府は1987年から94年にかけて、トップダウン式で農村改革試験区を設置した。中国では大きな改革を行う際に、まずはその改革を特定地域で試してみることが一般的だ。その経験と教訓に基づいて、改革をより広い地域に導入するにはどうすべきか考えるわけだ。よく知られる例が経済特区の設置だが、この農村改革試験区も、新たな農村建設を進める上での「探り」の意味があった。
農村建設の第3期は2000年に始まり、現在も続いている。「三農」という概念が定着したのも2000年以降だ。「三農」とは農村、農業、農民を指す。つまり地域と産業、住人についてのそれぞれの問題を具体的に認識し、総合的に解決していくわけだ。
2020年10月に行われた中国共産党第19期中央委員会第5回全体会議で「農村建設行動の実施」が明確に打ち出されことは、新時代の中国の農村経済・社会の発展に対する現実的な対応であるだけでなく、100年に及ぶ農村建設の歴史的経験を踏まえた上で農村建設をさらに引き継いでいくことを意味する。
■各国の状況は異なるが、危機に見舞われた国家を救えるのは農村だ
近代になり始まった中国の農村建設は、当初は日本など外国の影響を受けたわけだが、中国人が外国における農村建設に参加したこともある。例えば晏陽初は1950年以降、世界各地を転々としながら発展途上国の農村改造実験を展開した。1952年にはフィリピンで農村建設運動(PRRM)の創設に協力し、農村会の設立を提唱し、村民の村役場設立に協力した。今もPRRMはフィリピンの重要な民間組織の一だ。。晏陽初はアフリカや中南米でも農村建設の活動を展開した。
アジアと中南米の農村建設運動は現在、二つの大きな問題に直面している。一つは食糧やバイオ燃料、各種の原料を得るために、土地の収奪が発生していることだ。世界銀行が2010年に発表したリポートによると、2008年以降は世界の多くの場所で「土地紛争」が発生している。
もう一つの問題は、都市化の進行に伴い、農民が自国あるいは海外の都市に出稼ぎに出ていることだ。2010年の人口統計によると、ブラジルの都市人口は84.35%に達し、農村人口はわずか15.65%だ。フィリピンは国策として労働者の輸出を行っており、インドネシアはそれに追随して農村部の若年層や壮年層が大量に流出している。
また、多くの発展途上国は長い植民地の歴史がある。植民地では多くの場合、プランテーションという大規模土地所有に基づく生産が行われた。大土地所有は現在も続いており、土地や財産がごくわずかな人々に独占されていることが、貧富の差をもたらす大きな根源になっている。
このような状態を打破するため、例えばブラジルで1984年に設立された「土地なし農民運動(MST)」は政府、教会、労働組合、さらには政党の力を導入して、共同で土地と財産の関係を調整している。インドネシアの農民連盟(SPI)は持続可能な農業の発展を推進し、抑圧的で生物多様性を破壊する近代的な農業に反対する学習訓練センターを設立している。
中国は農村建設について、相対的に特殊であるように思える。まず、建国初期の土地改革で、地主と小作人という古くからの農村構造は消滅した。また中国は工業化に成功した。さらにこれだけ人口の多い発展途上国はほとんどないからだ。
そして中華人民共和国は成立以来、しばしば経済危機を経験してきた。そこから学んだことは、中国は危機に見舞われても、「三農」が力をうまく発揮できるようにすればソフトランディングできるということだ。都市部だけを考えていたのでは、ハードランディングすることになる。中国の経験の参考になる面は、国家が外部からもたらされた危機に直面した場合には、それまで農村をしっかりケアしていれば、農村社会が解決策の引き受け手になってくれることだ。(構成 / 如月隼人)
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