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文化が花開いた大正デモクラシー、大震災と世界大戦前の平和=自由への熱い思い—奥田駒蔵の場合

奥田万里    2022年4月23日(土) 6時20分

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私はここ20年来、夫の祖父奥田駒蔵(1882〜1925)の魅力に取り憑かれて足跡調査を行なってきた。写真は京橋鴻乃巣の全景。

今からおよそ100年前の日本には、大正デモクラシーと呼ばれる時代があった。ものの本によれば、日露戦争終結後の1905年から普通選挙法および治安維持法が制定される1925年までの20年間にあたり、市民のあいだに政治参加や自由を獲得しようという動きが盛り上がりを見せた時期だとされている。

私はここ20年来、夫の祖父奥田駒蔵(1882〜1925)の魅力に取り憑かれて足跡調査を行なってきた。知命に至らず死去した祖父が東京で過ごした年月は、ほぼこの大正デモクラシーの時期と重なる。孫である夫や義兄も、祖父の顔を知らない。次第に明らかになってきた祖父の破天荒な生き方に、大正デモクラシーの実相が見えてくるように思う。

京都の田舎(現城陽市)出身の奥田駒蔵は、横浜でフランス人シェフのもとで修行を積み、渡欧後、明治43(1910)年東京日本橋小網町に西洋料理店「メイゾン鴻乃巣」を開業した。場所は日本橋川に架かる鎧橋の畔、店の入り口に「西洋御料理 鴻乃巣」と染め抜いた暖簾が下がり、上部に「KOUNOSU FIRST CLASS BAR」の看板がかかる。この異国情緒と江戸情調がないまぜになった舞台装置にいち早く目をつけたのが、「スバル」や「白樺」などに集う若き文士・芸術家たち。駒蔵は毎月、店の広告を雑誌に掲載しては個性あふれる客人を煽り立て、“サタディーナイト”を催しては、彼らの談論風発に火を点けていた。

一方、大逆事件以来冬の時代に入った社会主義者たちは、苦肉の策として文芸家との座談を表向きにした例会を開いたりする。その会場に使われたのが鴻乃巣だった。店主の駒蔵までが官憲の査察を受けたらしい。女権拡張運動のシンボル『青鞜』の尾竹紅吉が広告取りに鴻乃巣にきて、「五色の酒事件」を引き起こし、世間の耳目を集めることもあった。

ところが駒蔵は、小網町の店をあっさりと3年で見切りをつける。まず少し離れた日本橋木原店(きわらだな)に移転、さらに3年後の大正5(1916)年、京橋の4階建てのビルに念願の本格的なレストランを開設する。今の明治屋の場所。その3年後の1919年、今度はすっぽん料理店「まるや」を近傍につくり、和洋の両面展開を図る。これに飽き足らず、1922年までに既存のレストランを改修して新装開店させ、その間自ら設計したアトリエ「鳩の家」を蒲田に建てたりもするのである。

駒蔵が、わき目も振らずに事業の拡充発展に邁進していたかというと、実はそうではない。生活に幾分ゆとりができると、自由人として生活を楽しむ術も心得ていたらしい。駒蔵は絵を描くのが好きだった。もちろん自己流だが、時間があると絵筆を握る。与謝野夫妻の旅に仲間と一緒に同行することもあった。いつも絵の道具を抱えていたと晶子は歌に残している。どうもパトロンの一人だったようだ。紀州の山林資産家西村伊作が娘のために文化学院を設立したとき、学監となる晶子らを陰から支え、割烹の講師も務めている。

また夭折の画家関根正二の遺作画集の編集にも関わる。駒蔵は、客の一人だった関根の作品を気に入り、油彩「子供」など十数点所持していたとされている。

一方、京橋鴻乃巣の上階が、劇団「新劇場」の試演会場に使われたこともあった。「新劇場」は、ドイツ留学から帰った小山内薫が山田耕筰と共同で設立した演劇集団で、かれらは劇場探しに苦労していた。駒蔵は完成間もない京橋鴻乃巣の4階を彼らに提供している。極め付きは、駒蔵が店の常連客の協力を得て始めた個人雑誌『カフェエ夜話』の刊行だった。大正12(1923)年3月創刊号ができあがる。『カフェエ夜話』の内容については稿を改めて書くことにして、ここでは鴻巣山人駒蔵の「発刊の辞」を紹介しよう。

◆人類の誰でもが望むのは幸福―雑誌「発刊の辞」

人類の誰でもが望んでいるのは幸福ということでしょう。しかしながら幸福とはどんなものかと問われたら、それを一言に尽くすことは一寸難しいことでしょう。

物質によって総ての幸福を得られると思っている人もありましょう。或いは男女間の愛の最も高潮した生活こそ幸福そのものであるという人もありましょう。

私は如上の人々の言葉を否定するものではありません。なぜならば或る一人の言うことが如何にいいことであっても、それを他の人に当てはめることはできないということを知っておりますから。

私は自由な生活を望んでいる者であります。その日その日の風の吹き回しで自分の気に向いたこと、または必然的にしなければならぬことをして、日を送っております。ただ他人を傷つけずして自ら楽しむことのできる生活を理想としております。

殊に私達は意気の合った人々と晩餐を共にして、食後の雑談に夜の更くるも忘れて笑い興ずるとき、しみじみと幸福を感じるのであります。さりながら、私達の生活は、毎日それを許すほどの余裕と時間とを持ち合わせません。よってここに本誌を発行しまして、紙上にいろいろの夜話を致したいと思うのであります。

皆さんもお持ち合わせの夜話をご寄稿下さると同時に、読者として本誌のためにご後援下さることをお願い申します。

平明簡潔な物言いのなかに、駒蔵が到達し得た自由と幸福への思いが込められている。

この半年後に大震災が起こることなど、まだ誰も知らなかった。

■筆者プロフィール:奥田万里

静岡市出身。元高校教諭。退職後、夫の祖父の足跡を調査し始める。中間報告として書いた『祖父駒蔵と「メイゾン鴻之巣」』で2006年度静岡県芸術祭文学部門(随筆)芸術祭賞受賞。2008年かまくら春秋社から同名のエッセイ集を出版。調査の集大成として2015年『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』(幻戯書房刊)出版。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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