大村多聞 2022年4月8日(金) 7時50分
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東京日比谷公園の日比谷公会堂そばの樹木のなかの目立たない箇所にひっそりとフィリピンのキリノ大統領碑が佇んでいる。レリーフの下に同大統領の1953年7月6日の声明が刻まれている。
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◆キリノ大統領顕彰碑に刻まれた「人間同士の愛」
「私は、フィリピンで服役している日本人捕虜に対し、フィリピン議会の同意を必要とする大赦ではなく、行政上の特赦を与えた。
私は、妻と3人の子供、5人の親族を日本人に殺された者として、彼らを赦すことになるとは思いも寄らなかった。私は、自分の子供や国民に、我々の友となり、我が国に末永く恩恵をもたらすであろう日本人に対する憎悪の念を残さないために、これを行うのである。やはり、我々は隣国となる運命なのだ。
私は、キリスト教国の長として、自らこのような決断をなし得たことを幸せに思う。私を突き動かした善意の心が人類に対する信頼の証として、他者の心の琴線に触れることになれば本望である。人間同士の愛は、人間や国家の間において常に至高の定めであり、世界平和の礎となるものである」。
◆「ああモンテンルパの夜は更けて」
第二次世界大戦フィリピン戦線での日本人戦没者は51万8千人であり長期間戦闘が続いた中国戦線の46万人を上回る海外最大の戦没地であった。しかし日本軍によるフィリピン人犠牲者はその倍以上の111万人である。戦争末期の1945年2月の米日マニラ市街戦では日本軍による比市民の無差別殺害も行われフィリピン市民10万人が犠牲となった。戦後A級戦犯を裁く東京裁判でフィリピン派遣判事は被告全員の死刑を主張した。フィリピンに移管されたBC級裁判では79人に死刑判決が下され順次執行されていた。
死刑執行を待つ者を含む111名が服役中のモンテンルパ刑務所内で代田銀太郎が望郷の念を作詞し伊藤正康が作曲した「モンテンルパの歌」が同刑務所の日本人教誨師(きょうかいし:受刑者を諭す牧師等)により1952年6月歌手の渡辺はま子の鎌倉市の自宅に郵送された。渡辺はこの歌をビクターレコードに持ち込み、歌は「ああモンテンルパの夜は更けて」としてレコーディングされた。レコードは20万枚のヒット曲となった。
1952年12月25日渡辺はフィリピン政府から特別許可を得てモンテンルパ刑務所を慰問、受刑囚の前で「ああモンテンルパの夜は更けて」を歌うと受刑者は全員立ち上がり涙を流しながら唱和した。渡辺の歌のオルゴールはキリノ大統領に届けられ大統領の恩赦の決断につながったとされる。
◆ミンダナオでのイスラム教徒との対立
日本は戦後フィリピンに一方ならぬ支援を行っておりフィリピンにとって日本は最大の援助供与国である。日本の対比援助における重点分野は「持続的経済成長のための基盤の強化」と「包摂的な成長のための人間の安全保障の確保」に加え、第3に「ミンダナオにおける平和と開発」がある。
13世紀以降フィリピンはイスラム教徒(比ではモロと蔑称)の地となっていた。16世紀以降のスペイン植民地時代ルソン島本土はキリスト教化されたが南部ミンダナオ島人口の90%はモロのままだった。1898年以降の米国統治下で南部へのキリスト教徒入植政策が採られ政府はモロの土地を取り上げキリスト教徒に分配した。ここからモロの抵抗の歴史が始まった。フィリピン政府は長年モロ抵抗勢力・武装勢力に対する武力弾圧と宥和政策を繰り返してきた。モロの地は長年の抗争で困窮化しそれがまた過激な紛争を招くという悪循環にあった。現在モロはミンダナオ島人口の2割を切り島西部に集住している。1984年ムラド議長率いる「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」が生まれイスラム国家を目指し武装闘争を始めた。
以下はJICA(国際協力機構)落合直彦氏の著書「フィリピン・ミンダナオ平和と開発 信頼がつなぐ和平の道程」による。
日本政府とJICAはミンダナオの開発を通じて反政府組織とフィリピン政府が平和裏に協働できる場を提供しながら支援するというユニークな平和構築支援を長年行った。日比国交正常化50周年の2006年12月日本政府はモロ多住地区の社会経済開発支援「日本―バンサモロ(モロの人々)復興と開発イニシャティブ(J-BIRD)」の実施を表明。その3か月前の9月にJICAの緒方貞子理事長が紛争地のMILFキャンプを訪れムラド議長と対面「開発がミンダナオ和平に貢献する。JICAに任せてもらえないだろうか」と申し出た。ムラド議長はモロの苦難の歴史を語ったうえで「我々が抱える問題の解決と未来の創造にJICAの力を借りたい」と応えた。
その後概略次の紆余曲折を経て、日比両政府連携の平和構築とJ-BIRDが進行した。
・2008年8月比アロヨ政権はMILFとの和平合意の一環として「先祖伝来の土地にかかわる合意文書」締結にこぎつけたが、比最高裁は国民への開示不足として差止命令を下し、ミンダナオは内戦状態に逆戻りした。
・2010年12月「ミンダナオ国際監視団」にJICAから民間人の落合直彦氏を派遣。
・2011年8月日本政府のお膳立てで比アキノ(3世)大統領とMILFムラド議長が成田空港近くのホテルで初会談。
・2012年10月アキノ政権とMILFが「バンサモロ枠組み合意」を締結、比政府は高度な自治権を有する「バンサモロ政府」の設立を約束。
・2014年3月アキノ政権・MILF間「バンサモロ包括和平合意」締結。
・2016年就任のドゥテルテ大統領はアキノ前政権の政策を継続し「バンサモロ和平新ロードマップ」を発表、「バンサモロ基本法案」を議会に提出。
・2017年5月イスラム過激武装組織「マウテ・グループ」と「アブ・サヤフ・グループ」がミンダナオ島のマラウイ市を武力占拠、ドゥテルテ大統領はミンダナオ全島に戒厳令を発出5か月かけて収束。
・2018年7月フィリピン議会で「バンサモロ基本法」が成立。通常の自治体を上回る権限移譲がなされる「非対称型自治制度」が導入されることとなる。
・2019年1月~2月住民投票でミンダナオ島西部のバンサモロ自治区領域(人口378万人)決定、2月「バンサモロ暫定自治政府」が発足、同時にJICAの「バンサモロ自治政府能力向上プロジェクト」開始。
◆「バンサモロ自治政府」樹立への道程
フィリピン国家は大統領制だが、移行期間を経て2025年に成立予定の「バンサモロ自治政府」は域内の多様な民族、氏族、宗教の均衡と安定を図るため一院制の議院内閣制を採用することとしている。日本は自治政府樹立に向け日本の議院内閣制の経験を伝える「ガバナンス」と、域内住民に対する行政サービスの確実な提供を目指す「公共サービス」、さらに営農技術指導・地場産業育成等「経済促進」の3方面から支援を継続している。
本年5月のフィリピン大統領選の行方が注目されているが、だれが大統領になろうともバンサモロ自治政府樹立とその後のフィリピン安定への日本の支援は続くはずで、2025年の自治政府発足を注目したい。
■筆者プロフィール:大村多聞
京都大学法学部卒、三菱商事法務部長、帝京大学法学部教授、ケネディクス(株)監査役等を歴任。総合商社法務部門一筋の経歴より「国際法務問題」の経験・知見が豊富。2021年に(株)ぎょうせいから出版された「第3版 契約書式実務全書1~3巻」を編集・執筆した。
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長田浩一
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