八牧浩行 2022年3月16日(水) 6時20分
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ロシアのウクライナ侵攻により「欧州」は大きな試練に直面している。欧州連合(EU)は第2次世界大戦後、6カ国で出発したが、東方諸国を中心に急拡大、27カ国に膨らんだ。
ロシアのウクライナ侵攻により「欧州」は大きな試練に直面している。欧州連合(EU)は第2次世界大戦後、6カ国で出発し27カ国に拡大した。ハンガリー、ポーランド、キプロス、チェコ、エストニア、ラトビア、リトアニア、マルタ、スロバキア、スロベニア、ブルガリア、ルーマニア、クロアチアなど東方諸国が続々加盟。戦乱下のウクライナもEU加盟を希望している。
一方で英国が離脱し、かつての「ユートピア=平和統合理念」が脅かされている。1980年から85年まで通信社のロンドン特派員を務め、欧州各地を取材した日々のことが想い出される。
◆原点は戦争のない地域づくり
ドイツとフランスは、鉄鉱石や石炭資源の多いルール地方など国境地帯の帰属をめぐり2度の大戦を戦い、おびただしい死傷者を出した。憎しみ合い戦火を交える愚かしさを繰り返さないよう、第2次大戦後の1953年、戦争の原因になった鉄鋼、石炭を共同管理することを目的につくられたのが欧州石炭鉄鋼共同体だ。この共同体を核に「戦争のない地域づくり」を目指して58年に欧州経済共同体(EEC)が発足。さらに農業政策や通商政策も共通化、欧州共同体(EC)時代を経て1991年のマーストリヒト条約で再編・発展させたのが、現行の欧州連合(EU)である。世界的な大市場に発展した。
ベルギー・ブリュッセルのEC本部を何度も取材したが、記者会見や発表資料は全加盟国の言語が用意され、当時のジェンキンスEC委員長は「戦争の原因となった各国固有のナショナリズムをいかに抑えるかが最大の課題。統合し人や物の行き来を自由にすれば国境の概念はなくなる」と繰り返し強調していた。「自由経済体制を実現すれば国や国民同士のわだかまりがなくなり平和が実現する。もう加盟国間で戦争が起きると考えている国はない」とも誇らしげに語っていたのが印象に残る。
◆ストラスブルグの奇跡
実際、高速道路の国境には国旗だけ立っており、止められることもない。縦横に広がる国際鉄道では国境を越えてもパスポート提示の必要もなく、知らない間に別の国に入る。
欧州統合の象徴的な都市が仏アルザス地方のストラスブルグだ。かつてはドイツの神聖ローマ帝国の都市だったが、17世紀にドイツの混乱に乗じてフランスが侵略して併合。以降、ドイツとフランスが領有権をめぐって戦火を交えた。第2次大戦後フランスに帰属したが、フランス系、ドイツ系住民が、仲良く平和を満喫している。
現在ストラスブルグは欧州評議会や欧州人権裁判所、またEUの欧州議会の本会議場を擁し、ブリュッセルとともにEUの象徴的な都市の一つとなっている。ライン川の支流イル川の中洲にある旧市街はカテドラルを中心に中世の雰囲気が漂う美しい街並み。世界遺産に登録され、訪れるたびに平和の尊さと有難みをかみしめることができる。
筆者は取材やジャーナリスト会議などを通じて、民族、宗教、国境などを超越する「ユートピア(理想国家)」の理念と推進者の努力にたびたび感服。「次は世界全体に拡大して“世界連邦”を!」という気運さえあった。
◆ダイアナ妃の微笑み
〝理想国家〟を目指したEUにとっての最初の試練は英国の離脱。1980年代に、筆者が当時のサッチャー首相を取材した際、「日本の優秀な技術を導入することにより産業を再生したい」と熱っぽく語っていたのが印象に残っている。実際、「鉄の女」と呼ばれた持ち前の強い意志で、日産自動車、トヨタ、ホンダやNEC、ソニー、松下電器産業(現パナソニック)など多くの日本企業工場を誘致した。日本企業も欧州共通市場への輸出関税「ゼロ」が魅力だったのは言うまでもない。
「日本の家族主義的な経営こそ産業再生のカギ」というのがサッチャー首相の口癖。英国企業でも、従業員の「誕生会」や家族ぐるみの「運動会」が開かれたりした。英国の労使は対立が激しかったから日本の労使協調生産システムに憧れたのだろう。
日産自動車をはじめ工場の着工式や開所式を現地に行って数多く取材したが、どのセレモニーでもエリザベス女王をはじめとする王室の賓客が参列、テープカットした。英国ぐるみの熱の入れようだった。
ソニーのウェールズ・カラーテレビ第2工場の開所式では、今は亡きダイアナ妃がソニーの帽子を被って「王室広告塔」として愛嬌を振りまいていた。私の横に立っていたダイアナ妃は大きな碧い眼で微笑みかけ、些細な問いかけにも気さくに答えていたことを思い出す。エジンバラ公フィリップ殿下(エリザベス女王の夫君)はロンドン市内でのパーティで私が日本人とわかると声をかけてくれ、「日本は素晴らしい国。イギリスにない管理システム、技術を持っている。かつての日英同盟の精神で協力していきたい」と穏やかな口調で話した。
当時、日本の大手銀行、証券、企業のロンドン支店・事務所は年々規模を拡大。未進出だった地方銀行・中堅企業などが新規に開設したので、毎週のように都心の豪華ホテルで「オープン記念パーティ」が開催されていた。地元紙から「東洋の新興国の怒涛の進出」(地元紙)と揶揄されたほどである。ロンドンの繁華街ピカデリーサーカス界隈のブランド店や有名ゴルフ場が日本企業グループの傘下に入ったのもこのころである。
日本をはじめ世界各国から英国への投資が活発なのはEU加盟が前提となっていた。日本の英国進出企業は現在1000社以上。いずれも共通市場が狙いだった。
1980年代のヨーロッパはどこに行っても「安心安全」。ロンドンから東ドイツ領内に位置する東西ベルリンまで車で行くことができ、途中のホテルも予約する必要もなかった。米ソ冷戦の真っただ中だったが、テロもほとんどなく治安は奇妙に安定し、経済も繁栄していた。
今欧州は暗転した。ウクライナに侵攻したロシアの言語道断の蛮行が引き金をひいた。エネルギーをはじめとする対露経済制裁を余儀なくされ、物価高騰や治安悪化などに直撃されている。ウクライナ難民の受け入れにも力を入れざるを得ない。EUと軍事同盟のNATO(北大西洋条約機構)の一方的な急拡大も「混乱」の遠因になったのは否めない。平和理念追求と生活向上=経済重視が原点だったはずが、多くの雑多な国々を包含することにより求心力が薄れ、「軍事・安全保障」の備えを優先せざるを得ない状況に追い込まれたといえよう。ウクライナに平和が戻り、EUが「理想国家」として復活するよう心から切望したい。
■筆者プロフィール:八牧浩行
1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。
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