羽生結弦が震災11年に寄せたメッセージ、「羽生は無数の人の光」と中国記事

Record China    2022年3月11日(金) 21時20分

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中国ポータルサイトの百度に11日、フィギュアスケートの羽生結弦が東日本大震災から11年を迎えるに当たって寄せたメッセージを紹介する記事が掲載された。写真は汐留で行われた東日本大震災風化防止イベント。

中国ポータルサイトの百度(バイドゥ)に11日、フィギュアスケートの羽生結弦東日本大震災から11年を迎えるに当たって寄せたメッセージを紹介する記事が掲載された。

メッセージは地元のミヤギテレビの情報番組に寄せたもので、「11年が経った今の世界で、命の意味と尊さを考えています。改めて、今までの11年間、何ができてきたのだろうかと考えています」と切り出している。

そして、「本当は、金メダルをまた持ち帰ってこられるようにと努力を重ねてきました。皆さんにお見せできるようにと思って頑張ってきました。僕は、挑戦することをやめず、前へ進み続けましたが、成功するところまでいくことはできませんでした。悔しい、苦しい気持ちもありますが、そんな姿からでも、皆さんの中で、何か意味のあるものになれているのであれば、本当に幸せだなと思っています。前へ進み続けることは、大変なことであり、報われないこともある。それは、震災のことでも同じことがあると感じています。苦しくて、楽しくて、悲しくて。そんな皆さんの日々の中でも、応援してくださり、本当にありがとうございます」とつづった最後に、「僕も、これからもずっと、応援させてください」と記されている。

記事はこのメッセージを中国語に訳して紹介し、「北京五輪から約20日が経過した今でも、言葉で説明しがたい悔しさと痛みを感じさせる。羽生が勝利、金メダルを渇望していたことは全ての人が知っている」と言及。また、「北京五輪参加を決めた時から羽生の目標は4回転アクセル(4A)と三つ目の金メダルの両方だった」とした上で「三つ目の金メダルを取りたいという願望はどこからだろうか。勝利に対する渇望、追求はどこから来るのか」と問い掛け、「こうして見るとこれまでと変わらず、『被災地の人々のために自分に何ができるか』が根源にある」との考えを示した。

羽生は2014年のソチ五輪での会見で、自身の金メダルが復興につながればそれが一番うれしいとの考えを語っており、記事は「一つ目の金メダルを故郷に持ち帰った羽生は、自身が獲得したメダルの力に気付いた。それは苦難に幸せをもたらすメダルなのだ」と説明。また、羽生の被災地訪問を取り上げた情報番組で羽生が震災犠牲者や被災して大変な状況に置かれている人々に対し「胸を張って生きられるような生き方をしなければならない」との思いを口にしたことを伝え、「自身の奮闘、挑戦する姿で被災した人々により多くの希望と勇気、夢と幸せをもたらす。これが羽生の追い求める最高の目標になっているようだ」「こうした意志を持って羽生は18年の平昌五輪で2連覇を果たした。『ノッテ・ステラータ(星降る夜)』を披露したエキシビションで羽生が登場した瞬間、衣装がまばゆい星の輝きを放った。まるで震災当夜の仙台で見られた星の光のような」と評した。

記事はさらに「フィギュアスケートは希望になることができ、より多くの人の光にもなれる。成長するにつれ、使命をより深く知るようになった羽生、さらなる高みを求めて道を歩む羽生は自身のスケートがより多くの人を照らす光となることに気が付いた」とし、「誰かの光になれるように」と書いた紙を掲げる羽生の写真を示して「羽生は本当に無数の人の光になった。自身のスケート、意志、根性、揺るぎなさによって」と指摘した。また、「北京五輪で三つ目のメダルを故郷に持ち帰る夢はかなわなかったが羽生は誇りとしてよい。人々により多くの勇気と力をもたらしたのだから」「『前へ進み続けることは、大変なことであり、報われないこともある』がそれでも前進を続ける。まさに勇者が歩む人生の道ではないか」ともたたえた。(翻訳・編集/野谷

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