〈新疆の世界遺産4〉スバシ故城:往時の仏教都市「亀茲」の壮大さを伝える

小島康誉    2022年2月26日(土) 16時20分

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スバシ故城西伽藍中央部の仏塔、日干し煉瓦で構築されているが自然風化で荒廃が進んでいる(撮影:筆者)

スバシ(蘇巴什)故城は天山山脈南麓のクチャ(庫車)東北約23km、クチャ河の東西両岸に所在している。東西伽藍はもともと小川を挟んで一体であったが、1958年の大洪水で中央部が流され完全に二区画に分断されたという。3世紀に造営が始まり10世紀後に次第に放棄された。西域に残る最大規模の仏教建築群遺跡である。1996年第4次「全国重点文物保護単位」に指定され、保護が行われている。スバシはウイグル語で「水源」を意味する。

求法の念やみがたく629年長安(西安)からインドへ旅立ち、645年帰朝した玄奘三蔵の『大唐西域記』に「クチャ国」(当時は亀茲)は「伽藍が百余ヵ所、僧徒は五千余人で、小乗教の説一切有部を学習している。教義の基準は手本を印度にとり、その読みならうものは印度文である。…清らかにたのしみつとめ、人々は功徳を積むことを競っている」(水谷真成訳・平凡社)などとクチャ一帯で仏教が盛んであった様子が記され、スバシ故城は「昭怙釐伽藍」として次のように記している。「山の入りこみに接し一つの河をへだてて二つの伽藍がある。東昭怙釐・西昭怙釐と位置に従って称している。仏像の荘厳はほとんど人工とは思えないほどである。僧徒は持戒甚だ清く、まことによく精励している」と。

西伽藍からスバシ河を隔て、東伽藍を望む(撮影:筆者)

スバシ故城には仏塔・寺院・洞窟・殿堂・僧房などの建築物が遺存している。西伽藍は南北約685m・東西約170m。仏塔内にはかすかに壁画が残っている。東伽藍は南北約535m・東西約146m。西伽藍から東伽藍へはスバシ河を渡る必要があり、渇水時以外は行けない。筆者も3度試みたが、1回のみ渡ることができた。古銭などが散見され、案内の新疆文化庁幹部が持ち帰った。なお「故城」は中国で「古い街・古い城」を意味する。またスバシ故城はスバシ仏寺遺跡と称されることもある。

大谷探検隊がスバシ故城から持ち帰った舎利容器には21人の楽人・舞人などが描かれ当時の生活ぶりを示している。東京国立博物館収蔵(小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』日本僑報社より)

第一次大谷探検隊が1903年東伽藍の仏塔内(一説ではクムトラ石窟)から持ち帰った舎利容器(写真)の蓋には奏楽する有翼天子像が4体、その間に鳥などが描かれている。容器の側面には21人の楽人・舞人などが豊かに表現され、西域美術を代表する名品で、当時の風俗などを伝える貴重文物である。同様の舎利容器はフランス隊も持ち出し、パリのギメ東洋美術館に所蔵されている。

ご参考:小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』(日本語版・本田朋子訳・日本僑報社2016)

■筆者プロフィール:小島康誉


浄土宗僧侶・佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表・新疆ウイグル自治区政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種国際協力を実施中の日中理解実践家。
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