〈新疆の世界遺産2〉キジル千仏洞:約350の石窟と1万平方メートル以上の素晴らしい壁画

小島康誉    2022年2月12日(土) 15時0分

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早朝のキジル千仏洞「谷西区」全景、池に映る千仏洞も素晴らしい。「谷西区」は「谷内区」「谷東区」「後山区」へと続いている(撮影:筆者)

2014年6月22日、カタールのドーハで開かれていた第38回世界遺産委員会は、中国・カザフスタン・キルギスが共同申請していた「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」を世界文化遺産と決定した。新疆ウイグル自治区のキジル千仏洞・スバシ故城・クズルガハ烽火台・交河故城・高昌故城・北庭故城など33遺跡(中国22・カザフ8・キルギス3)が構成資産である。ネット生中継を見続けていた筆者と妻は決定の瞬間、「万歳!」と拳をつきあげた。28年前のキジル千仏洞との出会いが脳裏をかけめぐった。その話は次回にゆずり、今回はキジル千仏洞の概要を紹介。

キジル(克孜尓)千仏洞は天山山脈南麓のクチャ(庫車・往時の亀茲)西方約70km、ムザルト河の北岸に所在している。3~9世紀頃に造営され、約350の石窟と1万平方メートル以上の壁画が残存している。海抜は1110m前後。中国四大石窟(キジル・敦煌・龍門・雲崗=異説有)では最も西に位置し、インド仏教の影響を色濃く残している。1961年中国第1次「全国重点文物保護単位」(日本の「特別史跡」相当)に指定され、保護研究が行われている。キジルはウイグル語で「赤」を意味し、付近一帯の山肌の色から称されている。

クチャ周辺にはクムトラ・クズルガハ・タイタイル・シムセム・マザバフ・ウンバシなど多くの石窟が残存しているが、キジル千仏洞は最大であり、東西約3kmにわたる石窟は谷西区・谷内区・谷東区・後山区と区分されている。

キジル千仏洞第17窟主室前壁入口上部、交脚菩薩が説法し諸天が聴聞している(撮影:筆者)

石窟の形態は中心柱窟・大像窟・僧房窟・方形窟・小型窟などであり、壁画は仏伝・菩薩説法・供養菩薩・天象・本生物語・涅槃図・伎芸天など多種である。正倉院に世界で唯一所蔵されている「五弦琵琶」、道に迷った旅人に自身の手を燃やして道を示す「灯明王本生」、飢えた虎に身体を差し出す「捨身飼虎」、鹿野苑で鹿に説法する「初転法輪」、釈尊入滅後56億年後に現れ人々を救済するという「弥勒菩薩」図など、数日参観しても見飽きない。

キジル千仏洞のゾクト溝にある「涙の泉」には悲恋物語が伝わっている。千仏洞近くに住んでいた石工が国王の美しい王女に一目ぼれ。二人はいつしか愛し合う仲に。結婚を許さない国王は「100の石窟を作ったら結婚を認める」と無理難題を出した。その日から石工は不眠不休で石窟作りに励んだ。99の窟を掘ったところで病に倒れ死んでしまった。王女は嘆き悲しみ、来る日も来る日も泣き続け、涙はいつしか「涙の泉」と呼ばれる泉になった。「涙の泉」は今も絶えない。昨今では「眼病が治る」と参観する人が眼を洗い、また水を持ち帰っている。

キジル千仏洞第38窟主室窟頂左部分、窟頂には天象図、それにつづき慕魄太子・一切施王など本生物語が描かれている(撮影:楊新才氏)

19世紀末から20世紀初頭にかけ、日本の大谷隊はじめドイツ・フランス・ロシアなどの外国探検隊により多くの壁画などが持ち出された。仏像は殆ど残存していない。石窟には剥ぎ取るための傷跡が悲しく残っている。大谷探検隊収集品は東京国立博物館や龍谷大学などに収蔵されている。キジル千仏洞はクチャから日帰り観光も可能だが、千仏洞の小ホテルに宿泊され、夕陽で真赤に染まる千仏洞前の山肌や朝陽に輝く石窟の姿を是非どうぞ!筆者自身もコロナ禍が明けたら必ず再訪する。

ご参考:新疆ウイグル自治区文物管理委員会ほか編『中国石窟 キジル石窟』(全3巻・平凡社1983~85)・小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』(日本語版・本田朋子訳・日本僑報社2016)

■筆者プロフィール:小島康誉


浄土宗僧侶・佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表・新疆ウイグル自治区政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種国際協力を実施中の日中理解実践家。
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