田村彰 2022年2月2日(水) 7時50分
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沖縄県と一口に言っても、沖縄本島と遠く海を隔てた宮古諸島や八重山諸島では大きく異なる。琉球王朝が全島を統一するまでは、別個の支配勢力(王)が存在し、歴史も文化も言語も別異のものであった。写真は沖縄。
沖縄県民(ウチナンチュー)の大きな特徴として、観光客を含めた外来者に対するホスピタリティーの高さを挙げることができる。一見馴れ馴れしいようにも窺われるが、裏表がなく、実直でフレンドリーなのである。もちろん、地元だけで固まろうとの排他的な気持ちには強いものがあるが、さりとて外から来た人間を排除しようというほどではないように窺われる。
そもそも、沖縄県と一口に言っても、沖縄本島と遠く海を隔てた宮古諸島や八重山諸島(石垣島等)では大きく異なる。琉球王朝が全島を統一するまでは、それぞれ別個の支配勢力(王)が存在し、納税先はもとより、歴史も文化も言語も別異のものであった。今でも、宮古、八重山、与那国島にはそれぞれまるで違う方言が存在するし、沖縄本島の中でも山原(やんばる、本島北部)には独自の個性がある。海山(特に海)に隔てられているので、ある程度当然ともいえよう。
こうしたさまざまな地域がひとつになっているのが沖縄県である。県経済の有力人物にはハングリーかつアグレッシブといわれる宮古(多くの業種)や山原(特に建設業)の出身者が多い。台湾(観光等)や奄美(海運等)出身の経営者も少なくない。加えて、中国、台湾との長きにわたる交流や戦後の米国による占領を経て、県民の構成はさらに複雑になった。加えて、近年は本土(ヤマト)からの転入者も増え、ダイバーシティー(多様性)の度合いを一段と高めている。
◆「ハーフ」「クォーター」が活躍
ちなみに、前知事の仲井真氏は中国(福建省)から渡来した家系(ビン人)だし、現知事の玉城デニー氏は日米ハーフである。財界人も本土系の人たちが増加している。なお、ハーフ、クォーターの有名人としては、歌手の安室奈美恵、女優の満島ひかり、プロ野球のリチャード(砂川リチャード、福岡ソフトバンクホークス)、ブランドン(タイシンガー・ブランドン大河、埼玉西武ライオンズ)などが挙げられる、枚挙にいとまがない。
沖縄は多様な出自の人たちにより構成されており、多様な人たちと共存していくことが当然だという気風があるのである。那覇の街を歩いてみても、中華料理店が並ぶ中華街(福建省系が多い)もあれば、かつては米軍基地勤務者を主要顧客としていたステーキレストランなどが沖縄料理屋と店を並べている。また、輸入品文化が横溢した米国占領下では、高級ウイスキー、牛肉、輸入缶詰(コンビーフ等)、香水、パーティ、ジャズなどが庶民にまで広く浸透し、沖縄古来の品、サービスとのチャンプルー(ごちゃまぜ)文化が形成されたのである。ジャズクラブは、今も沖縄民謡酒場と並んで幅を利かせているし、与世山澄子のように米軍基地クラブ上がりの伝説のジャズシンガーもいる。
◆民族を超えて理解し合う「チャンプルー」風土
歴史を振り返ってみると、江戸時代末期にペリー総督が浦賀を訪れる前に到来したのは那覇で、首里城で琉球国王の饗応を受けているし、ジョン万次郎も沖縄本島南部にたどり着いている。また、戦後本土復帰前には、与那国島に女傑照屋敏子が現れ、インドネシアのセレベス島まで駆け落ちしたり、シンガポールの華僑と会社を起こすといった国際的にもスケールの大きい幾多の経験をした後、台湾との密貿易で巨富を稼いだとの豪快な史実もある。
こうした一方で、歴史的にも大海原を漕ぎまわり、交流貿易に励んだ先祖の子孫だけあって、極めて多くの人たちが、ハワイ、アメリカ、南米(ブラジル、ペルー、ボリビア等)、ニューカレドニアなど地球の反対側まで含めて世界の各地に移民として移住した。特に米軍統治下では米軍基地化による農地不足対策かつ疎開先から帰郷した人たちの失業対策として、琉球政府が移民化を推奨もした。移民にとっては言葉も通じない異国の移住先で、不毛の土地を開拓するといった難作業に励むなど並大抵でない苦労や悲惨な体験をしたと思うが、努力の末に大成功を収めた人も決して少なくない。ちなみに、オキナワ・ラティーナを標榜する歌手のアルベルト城間(ディアマンテスのリーダー)はペルー移住者の二世か三世である。
沖縄県では、海外移住した沖縄県にルーツを持つ人たちの祭典である世界のウチナンチュー大会がほぼ5年に一度開かれている。私も日銀那覇支店長当時に見物したが、移住先の文化と沖縄の芸能(エイサー<集団で太鼓を打ち鳴らし踊るもの>等)が入り混じる実にユニークな催しであった。父祖の故郷である沖縄への望郷の心が横溢しつつ海外と沖縄がつながれる極めて印象的な行事であった。
以上みてきたように、沖縄には洋の東西、国籍、人種などが入り混じり、それを不思議と思わず、理解し合う独特のチャンプルー、ダイバーシティー風土がある。小売店でも、ハーフの白人や黒人が売り子になっているのはよくあることだし、那覇在勤時によく足を運んだスナックのママさんもフィリピンとのハーフだった。
わが国としても、これまで以上に世界に窓を開き、一層の交流を進めていくことが求められる時代である。沖縄でみられる姿をよい方向で活かし、ダイバーシティーが導き出すプラス効果がわが国全体に及ぼされていくことを切に期待したい。
■筆者プロフィール:田村彰
東京大法学部卒、元日本銀行システム情報局長、元綜合警備保障(株)(ALSOK)代表取締役専務執行役員、現加賀電子(株)社外取締役等。
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