事業成功して故郷に莫大な寄付、事業傾いたら功績碑削られる―恒大集団の創業者・許家印氏

Record China    2022年1月8日(土) 19時30分

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事業に成功した許家印氏は出身地に向け、学校建設のためなどに巨額の寄付を繰り返した。しかし許氏の功績をたたえるために作られた石碑は、許氏が事業に失敗すると碑文の一部が何者かに削り取られてしまった。

広東省深セン市に本拠を置く不動産開発会社の恒大集団を立ち上げた許家印氏は、事業に成功してから故郷に多大な寄付をし続けた。故郷では、許氏の行為をたたえる碑が作られた。しかし、恒大集団の経営が危機的状況になると碑文の一部が何者かによって削られてしまった。

許家印氏は河南省周口市郊外の農村で生まれた。幼少期には極めて厳しい境遇にあった。許氏が1歳の時、母親は敗血症になった。家が貧しかったために治療費に回す金銭がなく、母親はそのまま亡くなった。許氏は父方の祖母に育てられることになった。

祖母も貧しかった。手作りの酢を売ることでわずかな金を稼ぎ、許氏を養った。そんな境遇にあって、許氏は「上昇志向」を持ち続けた。勉学に励み、武漢鉄鋼学院(現、武漢科技大学)に入学した。大学統一入試の成績は、周口市内で第3位だったという。中国で、農村部出身者が大学に進学するのは、並大抵のことではない。

許氏が大学を卒業した当時の中国では、卒業生は自分で職業を選ぶことを許されず、政府の「分配」で就職先が決められた。許氏は河南省の鉄工場で技術者として働いた。中国ではその後、職業を自由に選択できるようになった。許氏は鉄工場を退職し、1996年に深セン市で不動産開発会社を立ち上げた。後の恒大集団だ。

創業当初は従業員が20人程度だったが、恒大集団は急速に成長した。2009年には香港証取に株式上場。2017年時点で、グループ全体の従業員は10万人を超えていた。また、同年には許氏の資産総額が中国で第1位と評価された。

大資産家になった許氏は、故郷への「恩返し」を忘れなかった。恒大集団を創業した1998年には、小学校設立のために100万元(現行レートで約1800万円、以下、換算レートはすべて現行のもの)を拠出した。2000年には高校設立のために1億元(約1兆8000億円)を拠出した。2016年に許氏が改めて5億元(約9兆円)を拠出することで建設された高校は、授業用、あるいは寮や図書館などの建物が20棟以上あり、生徒1万人以上が学ぶ大規模な学校だ。

許氏はそれ以外にも、道路や病院の建設、さらには貧困者支援施設などの設立のために故郷に巨額の資金を拠出し続けた。許氏の出身地である周口市太康県は「国家級貧困県」に指定されたこともある貧しい地域で、許氏の寄付がなければ、公共施設が次々に設立されることは考えられなかったという。

許氏は住民個人に対しても、1世帯当たり3000元(約1万3000円)という「ボーナス」を支給したり、米や食用油をプレゼントするなどもした。そして、許氏の故郷には許氏の功績をたたえる大きな石碑が建てられた。

しかし、許氏が率いる恒大集団は2020年、深刻な経営危機に見舞われた。直接のきっかけは中国政府が打ち出した、不動産業界の過熱を抑えるための融資条件を極端に厳しくする政策だったとされる。

資金繰りが極端に厳しくなった恒大集団は2020年秋には扱う物件の全てについて、価格を3割引きにするなどしたが、2020年6月末には、自己資本4110億元(約7兆5000億円)に対して、負債総額は1兆9700億元(約35兆7000億円)に達してしまった。許氏は同年8月に、恒大集団の董事長(会長)を退任した。

その後、許氏の故郷である周口市太康県内に建てられた、許氏の功績をたたえる石碑に刻まれた文字の一部が削られていたことが判明した。削られたのは、とりわけ大きく刻まれた「流芳百世(末代まで名を残す)」の4文字の部分だ。(翻訳・編集/如月隼人

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