<アフガン戦争終結>現地の生活文化軽視と軍事依存が招いた危機―立石信雄オムロン元会長

立石信雄    2021年8月22日(日) 6時30分

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20年に及んだ米国のアフガニスタン戦争が事実上終結した。タリバンによるアフガン制圧は衝撃的。世界の民主化への流れは逆回転を始めている。写真は現地で弱者のための医療や開拓を行った中村哲医師。

20年に及んだ米国アフガニスタン戦争が事実上幕を閉じた。イスラム主義組織タリバンによるアフガン制圧は衝撃のニュースである。2001年9月11日の米同時テロから始まった米国の「テロとの戦い」は20年を経て暗転。米国の敗北とイスラム主義組織タリバンの復権は、民主主義の試練を象徴している。今回の戦争は米国やその同盟国にとってベトナム戦争よりダメージは大きいとの見方が出ているようだ。

米国のサポートにもかかわらずアフガン民主政府下で、1人当たり国内総生産(GDP)は昨年で508ドルとピークの2012年の2割もダウンしたという。

子どもの約半数は就学しておらず、米国は実効性のある経済復興策を提示できなかった。世界食糧計画(WFP)が3月に公表した報告書は、アフガンではアフリカなどの一部の国とともに飢餓が増加していると警告している。

アフガンの前政権は米軍を後ろ盾に旧政権協力者への復讐に走ったと報じられている。腐敗や汚職も進んだというから民心も離れたのだろう。大統領のガニ氏が多額の現金とともに国外へ逃げたとの一部報道まであり、事実なら混乱の極みである。

それにベトナム戦争、イラク戦争など米国がアジア・中東で戦後仕掛けた戦争がことごとく当初の目的を達しなかった背景には、国や地域の文化や特色への無配慮があり、軍事力と巨額資金を投下し西側の理念を一方的に押し付けた結果であろう。

米国が貧困や経済発展に対応しなかった不作為が、タリバン復権という逆戻りを招いた。イスラム過激派は「アフガンから米国を放逐した」と喧伝している。2010年代前半に中東地域で広がった「アラブの春」の民主化運動は多くの国で頓挫したとされる。イラク戦争と米国の中途半端な介入から生まれた過激派組織「イスラム国」(IS)などが今後勢いづく恐れもある。

アフガニスタンで30年以上ににわたり貧者、弱者のための医療や開拓・民生支援の活動を続けてきた中村哲・ペシャワール会現地代表が2019年12月に凶弾に倒れた。多くの人たちが衝撃と深い悲しみを受けたが、私もその一人だ。

アフガ二スタンは日本にとって最もなじみの薄い世界だ。中国を飛び越えて西へ6000キロ。標高6000メートル以上のヒンズークシ山脈に覆われている。人々は自給自足の農業で暮らしている。降雨量は日本の20分の1。山脈の雪が少しずつ解け命をつないできた。かつて100%近い食料自給率を誇る農業国だったが、現在は壊滅状態になっている。

中央集権とは対極の緩やかな首長制で、近代国家とは程遠い。山が高く谷が深い。民族の十字路と言われるほどの多民族国家で、欧米、日本、中国、韓国のような近代国家ではない。警察組織も全土を把握しておらず、日本の戦国時代に似ているという。

中村哲医師によると、アフガン戦争の真っただ中に、ソ連軍や米欧軍が侵攻した。戦死者は200万人に上り、600万人が難民になった。ありとあらゆる感染症が蔓延した。診療所を積極的に開設し、あらゆる治療をするようにした。片道1週間かかる高地から来る患者も多く、途中で息絶える子どももいた。

1998年ごろ、ゲリラグループが対立し、内戦状態になった。中村さんらは患者をほったらかして、逃げるわけにはいかない。タリバン政権が誕生した後、2000年に世紀の大干ばつに見舞われた。1200万人が被害を受け、うち四百万人が飢餓状態で、百万人が餓死寸前だった。次々に村が消えた。水がなく食べ物も取れない子どもが栄養失調で死んでいった。薬では飢えや乾きは直せない。

2001年9月11日、ニューヨーク同時多発テロが発生。翌日から米軍による報復爆撃が始まった。空爆でテロリストを掃討することは難しい。タリバン政権と言っても、普通の市民は普通に暮らしていた。世界の大勢は米国の空爆を支持したが、中村医師たちは反対し、空爆下で食料を配った。米国はじめ世界中がヒステリック(感情的)になり、テレビの解説者は野球サッカーのゲームを見るように評論した。米国は人道的な「ピンポイント攻撃」なのでテロリストだけを攻撃すると言っていたが、実際は無差別爆撃だった。真っ先に子どもや女性、老人が犠牲になった。食糧を必要な人に配給できるか迷ったが、ボランティアが頑張ってくれたという。

米軍の進軍とともにケシが栽培され、アフガンは不名誉な麻薬大国になった。生活に困窮した女性が外国人相手に売春し、権力者に取り入る人間が得をするようになった。生活に困れば、米軍や反政府勢力の傭兵になるという。

豊かだった村が数年で砂漠化したため、中村医師たちペシャワール会は、2003年に緑の大地計画をスタートさせ、用水路をつくった。最初は電気も機械もないので一般的な機器は使えず、ツルハシとシャベルだけの手作業だった。2010年に完成した用水路は約1万6000へクタールを潤し、約60万人の生活を支える。急流河川なので農業は集約的で日本に近い。日本で完成した技術が役に立ったという。

中村医師は「すべて武力だけでは解決しない。人々が和解し人と自然がいかに折り合っていくのかが今後の課題となる。現地住民の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重することが大切だ。治安の問題は国によって違う。日本人はイスラム教とかかわりがないという先入観で動くリスクが大きい。日本だけは西洋対イスラム教という対立の構図の中に呑みこまれないでほしい。個人ではどうしようもないことだが、国家が配慮することが重要だ」と訴えていたという。

アフガンでは米軍とタリバンなど反政府武装勢力との戦闘が継続。2018年だけでも4000人近い民間人が犠牲になったという。凶弾に襲われた日の12月4日付けで発行された「ペシャワール会」会報で、中村医師は「依然として『テロとの戦い』と拳を振り上げ、『経済力さえつけば』と札束が舞う世界は、砂漠以上に危険で面妖なものに映る」と記している。

現地の住民の立場に立ち、その文化や価値観を尊重することが大切だとし、日本は「西洋対イスラム教」の対立に呑まれるなと訴え、「米軍による報復無差別爆撃」や「自衛隊の給油支援」にノーを突き付けていたという。「米軍敗北」の現実を目の当たりにした今、まさに慧眼だったと思う。

世界の民主化への流れは逆回転を始めている。アフガンのタリバン政権は融和や人権の尊重を語っているが、是非とも実行してほしい。今後の体制づくりを、日本はじめとする国際社会は注意深く見極める必要があろう。

<直言篇170>

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

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