野上和月 2021年5月19日(水) 17時50分
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「現地の学校が始まる9月までには」「優遇制度が変わらないうちに」。香港でこんな思いを抱きながら英国を目指す香港人が増えている。移民のためだ。写真は今年から始まった「全民国家安全教育日」を案内する広告。
「現地の学校が始まる9月までには」、「優遇制度が変わらないうちに」―。香港で最近、こんな思いを抱きながら英国を目指す香港人が増えている。移民のためだ。2019年の反政府デモ、それを受けて翌年に成立した「国家安全維持法(国安法)」をきっかけに、自由を謳歌してきた街が統制都市へと急速に変化する中、「安住の地」を求めて移住する動きが加速しているのだ。
香港は、自由や豊かさを求めて中国本土から移民してきた人たちが中心に築いた社会だ。香港を「仮の宿」として、住みにくいと感じたら、更に別の国に移り住むことは珍しくない。
来港当初、日本で一大ブームとなった「失楽園」の映画を見た香港人大学生(当時)が、「不倫した主人公の男女はなぜ移民しないの?愛を貫くなら、心中せずに、誰にも邪魔されない国に行けば、幸せに暮らせたのに」と言われ、衝撃を受けた。普段から、「帰属」よりも「自由」を愛する香港人にとって、移民は人生の身近な選択肢の一つなのだと知った一言だった。
歴史的には、英国統治下の80年代に香港の中国返還問題が浮上すると、中国政府による政治的な圧力を不安に感じた移民が急増。ピークの1992年には6万6200人が移民した。その後、香港の安定ぶりを映し出すかのように、2003年には1万人を割り込んだ。政治の安定と好調な香港経済を確認すると、逆に移民先から香港に戻る「回流移民」という現象も起きた。しかし、12年に愛国教育の義務化案が、14年に一層の民主化を訴えた「雨傘運動」が起こると、社会は騒然。再び移民が注目されだした。
そして今、「雨傘運動」後をはるかにしのぐ、大きな“移民の波”が起きていると実感する。英国やカナダなどの不動産投資、留学相談、移民セミナーなど、移民関連広告をあちこちで目にする。ある移民コンサルタント会社は、19年以降、コロナ禍でも移民の申請件数が急増しているという。
なかでも英国を目指すケースが多く、私の周辺でも相次いでいるのだ。
友人A夫婦は、息子(14)と母(80代)とともに、今月末にロンドンに出発する。約250万香港ドル(約3500万円)で買って住み続けた家は780万香港ドル(約1億1000万円)で売れ、移民資金の足しにした。英国には行ったこともなく、頼る人もいない。しかし、息子も英国行きに積極的で、昨年末にオンラインで希望校を受験し、合格した。家と仕事は現地に着いてから、順次探す。
別の友人夫婦は当初、娘(16)だけを英国留学させるつもりだった。しかし、英政府が香港人の移民を後押しする制度を発表すると、計画を変更。7月に、息子(11)も含めて家族4人で移住することにした。移民を意識して一年前に英企業の香港支社に転職した妻は、移住後、本社勤務となる。最近は、ロンドン郊外に家も購入するという手際の良さだ。
他にも、英国に留学経験がある40代の友人夫婦が年内に英国に渡る予定だ。
彼らはいずれも中産階級の民主派市民。移民を意識し始めたのは、反政府デモがエスカレートしていった19年秋ごろだ。民主派と親中派が修復不能なほど大きく亀裂した社会に嫌気がさした。決定打となったのは、反体制活動を取り締まる「国安法」の登場だ。案の定、政府は強権的になった。愛国教育の導入、マスメディアへの圧力、民主派議員の議員資格失効、選挙制度改革など、統制社会に向けて矢継ぎ早に布石を打ってくる。言論の自由、法治など、香港の核心的価値がどんどんはぎ取られ、中国化が急速に進む。自己の利益のために香港の良さを売り飛ばす行為をも辞さない親政府派の香港人も許せない。未来を憂えることばかりの中で、子供を持つ家族は、「何よりも子供たちの教育と将来を考えて」決断したという。
英国への移民が加速するのは、英政府が手厚い制度を打ち出したからだ。英植民地時代に一般の香港人が保有できたのは、英国居住は認められない渡航用のBNOパスポート(海外在住英国民旅券)だった。しかし今回、このBNOの保有者とその子息は、5年間の居住と就業・就学が認められることになった。さらに1年延長すれば、永住権が手に入る。生活支援金なども特別に用意され、破格の待遇だ。あるレポートでは、今年、香港の1万3100~1万6300世帯が英国に移住すると予測している。
もちろん移民先は英国に限らない。カナダ、オーストラリア、台湾など、さまざまだ。日本だって選択肢だ。
しかし、今の香港は、政治に口を出さなければ、デモ当時とは打って変わって、安全で平和な日常がある。移民先での仕事探し、差別、生活習慣の違いなどを考えると、政治には目をつぶり、今の暮らしを守った方が得策と考える民主派市民がいるのも事実。移民する人が手放す職場のポストは昇進や昇給の好機だし、移民資金作りのために相場より安く売りだす家は、購入のチャンスと見る向きもある。政治への無関心を装い、金儲けに邁進することを選ぶ香港人も少なくないのだ。
友人Aは先日、荷物が入った段ボール箱約50箱を英国に送った。「スーパーのレジ打ちだって何だってする覚悟」で、「不安どころか期待の方が大きい」と前向きだ。「安住の地」を求めて、ゼロからのスタートを厭わず軽々と移民していく決断力と行動力は、自由でエネルギッシュな香港の街で鍛えられたパワーなのだろう。冒頭の大学生(当時)が発した「なんで移民しないの?」の言葉の深さを、今つくづくと考えている。(了)
■筆者プロフィール:野上和月
1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。 ブログ:香港時間インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89
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