Record China 2020年12月14日(月) 12時20分
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13日、環球網は、日中戦争時に中国の戦場に赴き、終戦後戦犯として中国で裁かれた後に帰国した旧日本兵の「その後」について紹介する記事を掲載した。写真は遼寧省葫芦島市にある日本人引き揚げ記念碑。
2020年12月13日、中国メディアの環球網は、日中戦争時に中国の戦場に赴き、終戦後戦犯として中国で裁かれた後に帰国した旧日本兵の「その後」について紹介する記事を掲載した。以下はその概要。
1970年代生まれの日本人学者である石田隆至氏は2005年から、かつて戦犯として捕らえられその後釈放されて帰国した旧日本兵に対するヒアリング調査を続けてきた。石田氏の祖父も太平洋戦争に参加したが、話を聞いても「苦しかった、つらかった」と言うだけで具体的に戦場でどんなことをしたのかについては語ってくれなかったという。
石田氏の印象に深く残っている一人が、湯浅謙さんの証言だ。湯浅さんはかつて山西省で陸軍軍医として活動し、現地の捕虜に対する人体実験を行っていたという。戦犯として身柄を拘束された当初は全く罪の意識を持っていなかった湯浅さんだったが、ある日殺された農民の母親が警察に寄せた「わが子を殺され生きる希望が無くなった。死刑にしてほしい」といった内容の手紙を読んで初めて自身の行為の残虐さを知り、涙を流したという。
その後釈放されて帰国した湯浅さんは、亡くなるまでに600回以上の講演を行い、自らが行った生体解剖の様子を具体的に語り続けた。その様子がメディアによって広く紹介されると、家には脅迫の電話や手紙が数多く寄せられたというが、決して各地での講演を止めなかったそうである。
また、戦争末期に最下級の兵士として湖北省で物資の輸送などの後方勤務にあたっていたという難波靖直さんの話も印象深かったと石田氏は語る。難波さんは撫順の戦犯管理所に送られた際に「自分は誰も殺していないのにどうして戦犯扱いされるのか」と抗議したという。しかし、管理所で他の戦犯の供述を翻訳、記録する中で、日本兵たちが行ってきた残虐な行為を初めて知り「帰国したら、日本社会が中国に謝るよう導かなければならない」と決心した。
やがて帰国した難波さんだったが、その後日本で待っていたのは苦難の日々だった。「中共からの帰還者」ということで仕事が得られず、「侵略戦争反対」「日中友好」を主張したことで警察に目を付けられ、長きにわたり監視下に置かれたと振り返っている。
「戦犯たちの心からの謝罪姿勢から、日本社会に一体どんな行動が足りないかを考えてもらうことができる」と語る石田氏は、中国で裁かれた戦犯の研究を通じて日本社会が問題の在りかをはっきり認識して、しかるべき謝罪を行うことを望んでいる。(翻訳・編集/川尻)
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