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<コラム>パンデミックが繰り返された中国歴代王朝の歴史から、今後を考える

工藤 和直    2020年5月4日(月) 22時40分

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中国4000年に多くの王朝が起こり、そして滅んだ。その王朝末期に見られるのが、洪水・旱魃などの自然災害→疫病と大飢饉→経済の破綻→農民革命である。

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2019年末中国武漢で発生した新型コロナウイルス(COVID-19)は世界中に猛威を振るい、今日現在で20万人以上の犠牲者が出ている。ウイルス病原菌が原因と理解しているが、18世紀までは恐ろしい悪魔が疫病を起こすと信じられ、ただ怯え祈祷し、感染者を迫害することで終息をじっと待つしか手立てはなかった。1855年中国雲南省で腺ペストが大流行した。1894年北里柴三郎は日本政府の要請で香港へ調査派遣され、この腺ペスト病原菌を発見したことで日本の細菌学研究は世界最先端レベルであることを証明した。

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中国4000年に多くの王朝が起こり、そして滅んだ。その王朝末期に見られるのが、洪水・旱魃などの自然災害→疫病と大飢饉→経済の破綻→農民革命である。後漢末の「黄巾の乱」、唐代末の「黄巣の乱」、元代末の「紅巾の乱」など列挙すればきりがない。これらの疫病・飢饉・戦乱によって一番劇的変化するのが人口である。中国の戸籍制度は前漢平帝元始2年(西暦2年)に制度化され、一戸口を5人として計算する方式で、趙文林「中国人口史」で歴代王朝の人口を推定した論文がある。これに佐藤武敏「中国災害史年表」を重ねてみると、大きく4回の激的な人口減少(表1)が起こっていることから、大きなパンデミックが度々起こったと思われる(山田利明「中国史に見る人口激減現象」)。

戦乱は確かに15~40歳男子が一時的に死滅するが、10年・15年後には成人男子が増えて人口は回復する。しかし、疫病(天然病・ペスト・らい病・はしか・インフルエンザ・新型コロナなど)は感染性が強いので、まずは老人と子供が犠牲者になり、しかも20年以上に渡って流行する。子供が誕生(成長)しないと人類は大きく減って行く。天然痘の記録をみると都市の80%が死滅した例もあるし、14世紀ヨーロッパを襲ったペスト(モンゴル軍が運ぶ)で人口の1/3が死んだと記録があるほどだ。病原菌が分からない時代、疫病の発生は長期に渡り人口減少となり、常に人類滅亡の危機を帯びていた。

「後漢書」献帝紀によると、興平元年(西暦194年)~建安18年(西暦213年)にかけて長安一円で旱魃・蝗・大疫(疫病)が発生、人肉食が記録され、後漢末西暦188年に5980万人の人口が33年後の西暦221年には1/4の1410万人に激減した。その後隋初に5110万人と後漢末のレベルに回復するのに、何と350年以上かかったのだ。

次の大パンデミックは8世紀後半の唐代末に起こったことが「旧唐書」徳宗紀に記載されている。貞元元年(西暦785年)1月大風雪から始まり、春に旱魃その後の蝗、草木を尽くす。その後、大雨で黄河から長江にかけて全域が洪水となり、溺死者多数。疫病に引き続き、遂に兵乱が起こる(黄巣の乱)。(表1)から貞元2年(西暦786年)には40年で2000万人が減少し、直近の6年間で700万人が死に絶えた。

宋代は江南地域が農作地として開拓され中国史上1億人を初めて突破したが、南宋末モンゴル人が南下(その前に金が南下)で戦乱が続き、元代は十数度のペストや天然痘で人口半減の5480万人となった。ペストはモンゴル人が移動に伴って中国全土に感染数を増やし、その後ヨーロッパに伝染、14世紀世界最大のパンデミックで欧州の人口の1/3が死滅、国によっては60%以上が死に絶えたという。続いて紅巾の乱が起こり、遂にモンゴル平原に追いやられて元朝は終了する(写真1)。清朝は農工業・商工業が発展した時代で、人口は宋代1億を優に超え3億人以上を抱える世界最大の国家になった。もちろん当時の世界のGDP30%を超える超大国になった(当時の日本のGDPは世界の0.8%)。

中国史上最大の人口減少は、ほんの60年前に起こった。1949年10月に毛沢東主席によって中華人民共和国が建国され、1958年から大躍進政策が始まった。中国人口史を見ると、1959年に8億8250万人が1962年には6億8450万人とわずか3年で2億人が減少する世界史上最大の人口喪失となった。毛沢東の提唱で鉄鋼の増産が図られた時で、農村では収穫の増産を図るために穀物を荒らすスズメ退治が行われ、スズメが皆無になった。それにより害虫の蝗や飛蝗が大発生し穀物を食い荒らし、全国的大飢饉が発生し何と2億人が飢餓や疫病で死に絶えたという“人災”であった。

戦乱・自然災害・疫病は中国に限った事ではない。地球規模の温暖化問題を考えると、一地方の風土病であった熱帯地方の疫病が北上し、グローバルな人間の行動によって、世界中どこでも拡大することが考えられる。新型ペスト・新々型コロナウイルス・新型マラリアなど“新たな病原菌”が人類を襲うことが今後定期的に起こる前提で、我々人類は対応策を構築しておくことだ。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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