日韓学生と英語の長い格闘の歴史―中国メディア

Record China    2013年11月3日(日) 14時59分

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10月31日、北京市では2016年から大学受験英語の点数を150点から100点に減らすことを発表した。聞かれて久しい「英語熱の鎮静化」がとうとう現実になっている。写真は米国・ニューヨーク。

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2013年10月31日、北京市では2016年から大学受験英語の点数を150点から100点に減らすことを発表した。聞かれて久しい「英語熱の鎮静化」がとうとう現実になっている。ちょうどいいタイミングに、日本の文部科学省が小学校英語開講を現在の5年生から3年生に前倒しにすることを決定した情報が伝わってきた。しかもこれとは別に、韓国は「2014年度大学受験制度改革案」で、英語の大学受験における比重を増加すると発表している。斎魯晩報が伝えた。

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英語という舶来品に向かい合うとき、文化的に近い日・中・韓の3カ国の難題には類似性がある。しかもこの2つの近隣国は英語教育の歴史は異なる道を選んだ。東アジアの国はこの問題で同じような苦しみと困惑に悩んでいる。

▽日本:学ぶか、学ばないか、それが問題

日本人の英語に対する態度は幾度もの変遷を経てきた。そもそも、日本人が国策で英語を奨励し始めたのは、中国や韓国よりずっと早い1806年のことだった。鋭敏に世界の動向を嗅ぎつけ、変革を余儀なくされた江戸幕府は長崎に英語学習班の開設を命じ、翻訳ができる人材の育成を始めた。だが、悲劇だったのは、日本人がはじめて招いた外国語の教師がオランダ人(当時の日本は西洋諸国でオランダとしか接触していなかった)だったことだ。日本は1853年のペリー来航まで、半世紀もの間「オランダ式英語」を学んでいた日本人は話せなかった。日米が初めて接触した時、双方の通訳は中国人だった。

英語を学ぶということに日本人はとても熱心だった。明治維新初期には、維新派が急激に脱亜入欧を目指し、天皇に英語を国語に変え、徐々に日本語を廃止すべきと進言した人がいたほどだ。この行き過ぎた進言は当然押しなべて反対された。反対したものは、民族文化とは何かという問題を論ずるどころか、直接全面的な西洋化を主張した大久保利通首相を刺殺した。明治維新はこれで少し「中庸」になっていたのだった。

「英語を国語に」という熱狂的ブームが過ぎ去ると、20世紀初頭には「英語廃止論」が台頭した。英文科出身の大文豪、夏目漱石もこんな文章を新聞紙上に発表している。英語を過度に強調しすぎているとして「まるで我々が英国の属国のような印象を与えてしまう。これは大日本にとって一種の屈辱だ」と述べている。

この問題で特に声高に叫んでいたのは旧日本陸軍だ。彼らの支持の下、第二次大戦期の日本は英語教育を完全に廃止した。この大声で「英語無用」とがなりたてたのは、実際かなり個人的恨みを公の事を利用して晴らすところが大きかった。当時、日本陸軍は児童の学校から独立した自分たちの教育体系をもっていた。陸軍大学校にはドイツ語、ロシア語、フランス語、果ては中国語まであったが、英語は学ばなかった。だから欧米は旧日本陸軍にとって最もよく分からない相手で、太平洋戦争を戦ったのも「無知ゆえの無謀」だったのだ。ついでにいえば、陸軍とは全く異なり、旧日本海軍は「すべて英語」の軍種であるため、自分と相手の真の実力は陸軍よりはるかにはっきりとわかっていた。残念なことに当時の軍国主義政府で海軍は決定権を持ったことがなかった。

第二次大戦後、米国の影響を受けて日本の英語教育は急速に拡大する時期に入った。1940年代と1960年代に英語学習ブームがあり、1960年になると日本はすでに率先して完ぺきな英語学習体系を確立していて、英語はすべての高校での必須科目になっていた。しかし、この時期を過ぎると英語をめぐる「再検討」が日本社会で議論のテーマとなった。日本の英語教育普及と同時に英語教育は単一化され、受験のための科目となっていた。強制的な英語学習で学生の多様性の成長が阻害されていると非難されるようになった。この点を鑑みて、日本文部省は学校で多元的な英語教育を試験的に始め、同時に英語を融通の利かない教育選抜体系の過程に組み入れるのをやめた。

戦前の「英語廃止」の非合理な要求をして騒ぎ立てた時と異なり、日本は戦後、英語教育に対していまいち盛り上がらない方法を採用し、より理性的に考えるようになっている。英語を学生の素質を図る絶対的指標としないため、日本の人材資源はさらに有効利用できている。2008年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏は、受賞のあいさつの一言目に「I can not speak English(英語は話せません)」と話したのは謙遜ではない。学生時代はどんなに英語を勉強してもできなかった益川氏は、有名になった後でも英語で自分の名前をつづるのもうまくできない。ある取材で「(ノーベル賞を受賞したら)必ず英語で講演しなければなりませんが、どうしますか?」と聞かれ、益川氏はきっぱりと「なら、(ノーベル賞は)いらないよ」と答えた。このように英語が苦手な物理の天才が埋没しないことは、まったくもって日本の柔軟性のある教育体系の優れたところだろう。

2003年から、国際化が加速していることを受け、日本文部省は長年の英語専修教育制度の改革を始めた。大学受験での外国語(原則は英語)は必修科目になり、徐々に各種学校における英語教育を強化してきた。今回、文科省は英語教育を小学校3年生まで前倒しにすることを決定した。これはまさに新しい「英語熱」の表れだ。

韓国が英語学習で見せた「一辺倒」の熱狂ぶりと比べ、日本は英語学習において、「付かず離れず」を数回繰り返してきた。日本は英語学習の問題において韓国よりも長い時間模索してきたため、当然認識がより多面的だと思われる。英語重視は、日本を2度も台頭させた。一方で、英語に対して「重視しない」ことは、日本人の人材育成に無駄な消耗を避けさせた。これまで、英語教育は日本で何度もの変遷によって強化されてきたが、韓国のような「一票否決」の地位を得るまでには至っていない。このような慎み深く、理知的な態度は中国も参考にできるだろう。

▽韓国:英語学習のために舌の整形手術

日韓両国は近年、期せずして同じく英語教育を強化している。まるで勤勉さで能力のなさをカバーするようだ。統計によれば、IELTSのような能力試験に参加している20カ国の中で、韓国と日本は下から2位と1位を分け合っている。比較すると、韓国の学生はこのようなひどい点数には悔しい思いをするだろう。なぜかというと、日本の英語教育のアップダウンとは違い、韓国は英語を学ぶのにずっと一生懸命な国だったからだ。

韓国人は英語学習での劣勢は、もしかして先天的なものかもしれない。日本語と同じように、ハングルも特別な言語構造(膠着語)、特殊な語順(主語、目的語、述語)であることが、韓国人の外国語学習を非常に難しくしている。ただし、もっとも悔しいのはもしかして韓国語独特な発音かもしれない。やはり日本語と同じように韓国語も[r]の子音がない。だから英語を学ぶときには、日韓の学生は英語の「R」と「L」の発音の区別がつきにくい。

こうした言語の障壁を克服するために、韓国人は整形手術で克服することを思いついた。実際、多くの韓国人は生理構造的にはこの手術の必要はない。この手術が韓国で流行っているのは、全国民の英語に対する決心を表現する「芸術的な行為」に近い。2006年には、韓国は英語教育にGDPの2%以上をつぎ込んでいる。特に、前大統領の李明博氏が就任した後、韓国は全国民の熱狂的な英語ブームが起こった。政府は「英語公共教育正常化案」を打ち出し、2013年までに4兆韓国ウォン (約3700億円)を投入して全面的に教育課程、教科書、教師制度を改革するとした。また、「三振アウト」の制度で、韓国の高校以上の英語教師には、授業は全面的に英語でするよう要求し、その能力がないものは授業をできなくした。

今の韓国では、中学・高校のクラス分けの英語の成績が決定的な役割を果たすだけでなく、一部の韓国国内のランキングが非常に上位の大学の新入生は入学する前に英語評価テストを行い、成績によってクラス分けをし、授業はすべて英語で行われる。韓国の大学生は通常卒業前に長くて1年間、短くても半年を英語にかける。理由としては、韓国は英語の重要性を強調しているので、専門的に韓国版の「TOEFL」である「K-TOEIC」を行い、サムスンヒュンダイのような大企業に入社したいなら、英語は出世のための手づるになる。

歴史上、「事大主義」は韓国の伝統だ。近代前の中国語学習から日本占領時代の日本語学習、独立してからの英語学習、韓国は外国語学習の問題において心理的障害は中国や日本よりも小さい。しかも、国内の空間に限りがあり、韓国は対外交流が急務になっている。こうした要素がすべて韓国を英語教育の推進に向かわせている。東アジア3カ国の中でもっとも断固として頑張っている重要な要素だ。(提供/人民網日本語版・翻訳/EW・編集/武藤)

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