追悼・山崎豊子、日本社会に真っ向から切りこんだ作品群―中国メディア

Record China    2013年10月17日(木) 20時43分

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17日、「白い巨塔」、「大地の子」など数々の社会派小説で知られる女流作家、山崎豊子が9月29日に亡くなった。享年88歳だった。資料写真。

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2013年10月17日、「白い巨塔」、「大地の子」など数々の社会派小説で知られる女流作家、山崎豊子が9月29日に亡くなった。享年88歳だった。「山崎豊子文化財団」事務局長の山崎定樹氏は彼女の死去を受け、あいさつ文を発表した。あいさつ文によれば、彼女は50年余りの創作の疲労蓄積による微熱と全身の痛みを訴え、9月末に緊急入院し、最後は心機能不全による呼吸困難でこの世を去ったという。荼毘に付された後、自宅の書斎に戻り、静かに安置されている。深セン特区報が伝えた。

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▼現代日本文壇の三大才女の筆頭

現代の日本文壇の三大才女の筆頭であり、戦後十大女流作家のひとりに数えられ、大家である松本清張、水上勉と並び称される山崎豊子は大阪で生まれた。1944年、旧制京都女子専門学校(現京都女子大学)国文学科卒。毎日新聞社に入社し学芸部に勤務。当時、学芸副部長であった井上靖のもとで記者を担当する。勤務のかたわら文筆をはじめ、1957年「暖簾」を刊行して作家デビュー。1年後、興行会社の女性経営者を描いた「花のれん」で第29回直木賞を受賞。その後、新聞社を辞め、作家としての道を歩き始めた。山崎豊子の初期の作品には船場など大阪の風俗が多く描かれている。1960年代以降、彼女の作品は徐々に社会性のあるものに変わっていった。

▼山崎作品は映画化に最適な原作

すでに80歳を超える高齢にもかかわらず、彼女の社会に対する鋭い筆はとまらず、2009年にはしばらくぶりの新作となる「運命の人」を発表、沖縄返還と日米密約を背景に展開する報道関係者の真実の追求と社会正義への信念を描き、各界から大きな反響を得た。100万部を超えるベストセラーになり、さらに日本の最高権威として君臨する雑誌「ダヴィンチ」と日販の販売ランキング上位10位以内に入り、第63回「毎日出版文化賞」の特別賞を受賞。山崎豊子はまだその観察力と予知能力を人々に知らしめた。

2009年末には、政府関係者が法廷で山崎豊子が作品で描いた「沖縄密約」は確かに存在したと証言している。

日本では、大多数の男性が山崎豊子の作品を読んでいる。彼女の作品は、プロットが綿密に練られ、ストーリーに山場があり、愛憎の中で断ち切れない複雑な人間性がさらに人をひきつけてやまない。だからこそ映画化の最高の原作となっているのだ。企業の内幕から巨額が動くビジネス、医者、教授、軍人、やくざ、登場人物すべてに強烈な物語性のある視覚効果がある。彼女は、小説の素材となっている社会分析能力や読解能力が他者に比べ非常に優れている。大胆で辛辣、直截的に真実を描く。あの報恩や仇を返す感情は、男性でも書きたくても書けない男らしい味わいが文字となっている。彼女の作品から彼女の人生も大胆で勇敢に切り開いていくような理性的であるというはっきりした映像が浮かぶ。もし、彼女自身が綿密に考えていなければ、作品から国家間の問題で突出した緊迫感は感じられないだろう。彼女の小説は日本社会の問題に真っ向から取り組み、細かく社会の暗部を抉り出している。だから、山崎豊子は日本の「社会派小説家」として、日本文学へのぬきんでた貢献により、1991年に第39回日本文学賞の大きなタイトルである「菊池寛賞」を受賞したことも名実ともにうなづける。

▼戦争小説「約束の海」が絶筆に

著名な俳優である仲代達也は、1974年に「華麗なる一族」、1976年に「不毛地帯」、1995年に「大地の子」の三つの重要作品に出演している。彼は「どの作品も撮影が終わると、山崎さんは『そこは悪くないけど、ここはよくない』などと辛辣にはっきりと感想を述べていた。彼女の言葉はどの男性よりも単刀直入で鋭い切れ味だった。あのように政界、医学界、ビジネス界、しまいには国家間の問題にまで精通した作家は、今の日本ではたった一人で他に類を見ない」と回想する。

9月29日、山崎豊子が亡くなったことを受け、日本の二大出版グループである「新潮社」と「文芸春秋」は彼女の作品の増刷を決定した。なかでも新潮社は新潮文庫の「沈まぬ太陽」、「白い巨塔」、「華麗なる一族」を合計30万部増刷、文芸春秋も「大地の子」4巻を各3万部、「『大地の子』と私」を1万部増刷するという。

日本のメディアによると、山崎豊子は88歳の高齢で病身でありながら、亡くなる直前の8月に雑誌「週刊新潮」で彼女の最新作品である「約束の海」を連載していた。この作品は海軍士官を描いた小説で彼女の絶筆となった。彼女は過去に取材を受けた際、「戦争は私の体内でまだ消化しきれていない。私は書かねばならないのだと、宿命のようなものを感じた」と語っていた。

10月3日時点で、この小説はすでに第6章まで連載が終わっている。原稿は第1部に20章が描かれ、残りは引き続き毎週連載されるという。(提供/人民網日本語版・翻訳/ EW・編集/武藤)

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