吉田陽介 2020年1月1日(水) 15時40分
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教師には夏休み、冬休みがあるから教師になりたいと思ったことがある読者も多いことだろう。実際はそうではなく、かなりのハードワークだ。中国の教師も同様で、仕事が多い。写真は中国の小学生。
教師には夏休み、冬休みがあるから教師になりたいと思ったことがある読者も多いことだろう。私もその一人で、大学時代、教員免許をとるために教職課程を履修していた。だが、実際はそうではなく、日本でも教師の働き過ぎが指摘されているように、かなりのハードワークだ。私の場合、教職に就いた先輩から、教える仕事の大変さをよく聞かされたので、教員免許はとったが、教員採用試験は受けなかった。
教師の本業は言うまでもなく学生の学業面・生活面での指導をすることだ。だが、付随業務が多いため、授業準備の時間が十分に確保されておらず、現場の教師が疲弊していることは日本でもよく報じられている。
中国の教師も同様で、仕事が多い。私は中国の大学院を卒業後、大学の日本語教師の職についたが、面接で面接官の教師が「先生は一見楽なように見ますけど、残業、結構多いですよ」と言われたのを覚えている。
実際に仕事をしてみると、外国人教師は授業関係の業務に集中できたが、中国人教師は雑務が多くて忙しそうだった。会議や学習、教案や教学総括など上に出すための報告書の作成、研究授業の出席、授業の感想レポートの提出があるという。また、中国の教師は昇進するには論文の有無も評価対象となるため、出世したい教師は時間を割いて論文を執筆しなければならない。大学は研究と教育の両方を重視するので、論文の多さは昇進に大きく影響する。中国の小中学校の教師も同様に忙しい。大学生と違い、小中学生はまだ管理すべきことが多いので、担任ともなると、負担は倍増する。
日本では部活動の指導の負担も大きいが、中国の場合は日本の部活動のようなものはないので、課外活動の負担はないが、その代わり、政治学習などにも時間をとられる。形式主義という「お国柄」に由来する問題もある。
教師を苦しめる学校の形式主義
中国の政治に関するニュースや文書を見ると、「形式主義」という言葉をよく目にする。それは上に言われたことを自分たちがやっていることを見せるために形を整えるための仕事をやるということだ。共産党は会議や学習活動が非常に多く、上級組織から通達があれば、嫌でも従わなければならない。
共産党はもともと「世の中をよくしたい」と考える人が入る政党だが、政権党になると、党員の「革命意識」が薄らいで、出世などのために入党する人が少なくない。上級組織から「党の指導者の思想の学習活動をせよ」と命令があったら、下級組織の党員はこの活動の意味など考えず、命令どおりにしたということを示すことに力を入れる。今年(2019年)の全人代で形式主義のことが問題になり、業務検査のための書類を減らすなど下の組織の負担軽減に言及した。だが、形式主義は腐敗と同じように歴史的に存在しているもの問題で、その伝統を変えるのは容易なことではない。どうなるかは今後の状況を見守るしかない。
こういう形式主義が実は教育の現場にもある。学校も共産党の指導下にあるので、似たような性質がある。私も中国の大学で教えていたとき、経験があるが、検査が実に多い。私自身が経験した検査は、授業の質を検査する「教学検査」やテストの出題の質をみる検査だ。授業中に、他の教師が突然入ってきて、厳しい表情で授業をチェックし、まわりの学生にヒアリングしているのを何度も見ている。その評価は後日上役の教師に伝えられ、足りない部分を指摘されるので、それは授業設計に役立つものだが、時には日本語が分からない教師が入ってきて聞いているときもあり、内容分かっているのかなと首をかしげたこともあった。
また、テストの質を見る検査は、出題の質よりも、句読点の問題や問題の番号の振り方といった書式の問題を多く指摘され、難易度とかはさほど問題にされなかった。学校としては、教師がしっかりとテストを作っているかどうか検査したという事実が欲しかったのだろうが、配点や問題の配置を検査すればもっと意味のある検査になるのだが。また、テストが終わった後にきちんと採点されているか、成績の分布などを調べる検査もある。それも学校が組織した専門家グループが採点された答案をチェックする。私それに立ち会っていなかったので、どのように検査したかは不明だが、一つ一つ検査したのではないことは確かだ。
授業をうまくやっているか、きちんとテスト作りをしているかを検査するのは、教師が責任感をもって仕事をするようにするために必要なことだ。だが、形を整えようという意識が強いと、本来意味のある活動が、「無意味なもの」と化してしまうことも多々ある。
「教師聖職論」は負担増加に拍車!?
中国の教師の負担が大きいのは何も形式主義の問題だけではない。教師は聖職なので自分を犠牲にすることが求められるという意識も大きい。
中国の小中学校は、親が子どもの宿題をチェックして、教師に提出する。それを怠ると、親も教師から叱られる。定時で帰れるような仕事に就いている親にとっては難しいことではないが、そうでない親の場合は負担が大きく、「先生は遊んでいるんじゃないか」とい考えがちだ。子どもが親の言うことが聞かなかったら、「学校の先生は何してるんだ」と心の中で腹を立てる親も少なくない。昔、日本で先生と親が「子ども」というボールで「お父さんお願いします」「先生」と言いながらキャッチボールしているCMがあったが、家庭教育で身に付けさせる基本的な礼儀作法なども学校の教師に押し付ける傾向は今の中国でも続いている。そのため、日本と同様、「モンスターペアレンツ」が無理難題を言ってくることがよくある。彼らの考え方の根底には、「先生は自分の身を削ってでも学生の育成に力を入れろ」という「教師聖職論」がある。
日本でもそうだが、先生は自分の時間を削ってでも子どもに向き合う、いわば「金八先生」のような教師像を求める人が少なくない。そのためか、中国の教師は安定しているが、待遇は一般企業ほどではなく、普通の生活はできるが、いい生活はできない。もし待遇改善を訴えようものなら、「やる気のない教師」の烙印を押されてしまう。
2年ほど前に、下の子どもの幼稚園の保護者会に参加したとき、園長が「先生も人間で、限界がありますから、お手伝いさんのような行き届いたサービスをするのは無理です」と言い、さらに「私たちは朝7時には幼稚園に着いて子どもを出迎え、子どもが危ないことをしないか気を配りながらずっと休みなく働き、午後7時半に退勤するのが普通です」と負担の重さをアピールしていた。確かに、「教師で食っているんだから、すべての子どもに完璧なサービスを提供するのが当然だ」と考える教師の仕事に無理解な親もいる。その園長は「先生は聖職だから」といった考えで、無理な注文などをしないでくれと「予防線」を張ったのだろう。
学校や幼稚園の側にも問題がないかといえば、そうではない。先ほども述べたように、形式主義の問題もあって、学校の上層部や所管機関に成果を見せるため、イベントなどを行うことが多い。その際は、教師が親に協力を求める。日本でも親が協力することは多々あるが、それは親の時間をあまり取らない程度で、しかも前もって伝えるが、中国の場合は突然「明日の授業までに○○を買っておくように」「明日イベントをやるので、親と子どもが協力して工作するように」と通知がきたりする。親にどこまで協力を求めるか、そしてスケジュールに影響しない程度にすることが大事だ。
現在、小中学校の教師の負担軽減について中国政府が通知を出し、「教師が授業に専念できるようにする」と述べたが、教師が中心業務である授業の準備に専念できるように学校の形式主義をなくすも大事だ。また「親は教師に求めすぎない」「教師は親に求めすぎない」という意識を親と教師それぞれが持つことも重要である。
■筆者プロフィール:吉田陽介
1976年7月1日生まれ。福井県出身。2001年に福井県立大学大学院卒業後、北京に渡り、中国人民大学で中国語を一年学習。2002年から2006年まで同学国際関係学院博士課程で学ぶ。卒業後、日本語教師として北京の大学や語学学校で教鞭をとり、2012年から2019年まで中国共産党の翻訳機関である中央編訳局で党の指導者の著作などの翻訳に従事する。2019年9月より、フリーライターとして活動。主に中国の政治や社会、中国人の習慣などについての評論を発表。代表作に「中国の『代行サービス』仰天事情、ゴミ分別・肥満・彼女追っかけまで代行?」、「中国でも『おひとりさま消費』が過熱、若者が“愛”を信じなくなった理由」などがある。
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