工藤 和直 2019年12月25日(水) 22時20分
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今年105周年を迎えた宝塚歌劇は女性だけの劇団で世界でも類を見ない。華やかな宝塚歌劇であるが、105年の歴史の中では忘れてはならない悲惨な殉死者が居る。香月弘美、41期生である。
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今年105周年を迎えた宝塚歌劇は女性だけの劇団で世界でも類を見ない。出演者(歌劇団では生徒と呼ぶ)はすべて宝塚音楽学校の卒業生であり、毎年春に競争率20倍以上(1994年82期生は48.25倍、2019年107期生は22.9倍)から選ばれた40人がタカラジェンヌになる。卒業生は既に4500人を超えた。
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宝塚音楽学校は予科・本科があり、1年目の予科生は特に厳しいルールがある。「登校は2列隊列」「校内の廊下を歩くときは1列で壁際を歩き、直角に曲がる」「阪急電車には上級生が乗っている“かもしれない”ので、お辞儀をして通り過ぎるのを待つ」など驚くべきものが幾つもあるが、これらはすべて生徒自身が決めたものだ。旧音楽学校校舎は現在宝塚文化創造館(2Fがすみれミュージアム)として一般公開しているが、西側の階段傷跡に多くの生徒の足跡を確認できる。
105年を超える歴史のなか、上級生から下級生に変わらず受け継がれたものは「清く正しく美しく」という小林一三の精神だ。宝塚音楽学校には「校則」はなく、あるのは「生徒心得」のみ。だがこの「生徒心得」も「宝塚音楽学校の生徒として、恥ずかしくない行動をとる」といったざっくりとしたもので、具体的な厳しいルールはすべて生徒自身が取り決めた“不文律”である。
筆者が宝塚に住んで四半世紀が過ぎたが、朝7時にすみれ寮から隊列を組んで音楽学校に通う姿を阪急電車の中から眺めたものだった。近所には卒業生が普通に住み、朝の挨拶(低音でおはようございます)にも慣れ親しんだ。阪急電車で通う生徒は制服と帽子からすぐ分かり、座席に座ることもなくきりっと立つ姿に、これが「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」理想の日本人女性像と実感したものだ。2015年から新すみれ寮は元ファミリーランド内、現音楽学校対面に移設したが、新すみれ寮に移っても朝7時に2列隊列で通学する音楽学校生徒の姿は宝塚の景色になっている。
旧すみれ寮は宝塚南口駅近く、阪急電車が南口駅から逆瀬川駅に行く左手に見えていた。旧すみれ寮(写真1左)は1970年代に建設されたが、現在は一般分譲マンションに改築、南口すみれ公園ができていた。ここにすみれ寮があった事を感じる公園である(写真1右)。
華やかな宝塚歌劇であるが、105年の歴史の中では忘れてはならない悲惨な殉死者が居る。香月弘美(かつきひろみ)、41期生である。彼女は舞台事故により昭和33年4月1日に享年21歳で散った桜のつぼみであった。香月弘美慰霊石碑は宝塚音楽学校裏、宝塚大橋東詰から階段を下りた武庫川左岸沿いにある。「めになみだ こよいは月のなきものを 香ふさくらが うすあかりせり」柳原白蓮による彼女への哀悼の歌が慰霊石碑に碑刻されていた。二つの小さな石碑が音楽学校生徒を見守るようにひっそりと立っている(写真2)。
■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。
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