如月隼人 2019年9月30日(月) 13時30分
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インドネシアで1965年9月30日、クーデターにともない華僑系住民40万人が殺害された。その結果、中国とインドネシアは国交を10年間以上断絶した。写真はインドネシア。
インドネシアで1965年9月30日、軍事クーデターが発生した。クーデターは失敗したが、クーデター鎮圧のための実権を握ったスハルト少将(後に大統領)は、クーデターに関係したとして、共産主義者とみられる者を次々に処刑/殺害した。実際に集中的に狙われたのは華僑で、40万人が殺されたとされる。結果として中国とインドネシアは10年間以上に渡り国交を断絶した。同事件については現在も不明な点が多い。
インドネシアの当時の指導者は初代大統領のスカルノだった。独立の父とも呼ばれた「英雄」だったが、建国後は経済建設の失敗などで国内は不安定になった。失敗の大きな原因は、植民地時代を否定するあまり、西側企業の資産を接収し、新たな外資の導入を禁止したことなどだった。また、自国産業の育成を図るためにさまざまな輸入品目を規制したが、結果として深刻な食糧不足と激烈なインフレが発生した。
スカルノは国家の危機的状況を乗り切ろうと、ナショナリズムを鼓舞しつづけた。スカルノは同時に、インドネシア共産党に接近し、重要な支持基盤とした。インドネシア共産党は東南アジアで最大規模の共産党であり、スカルノ政権下で党勢をさらに伸ばした。スカルノがインドネシア共産党を優遇したのは、国軍を抑える意図もあったとされる。
1965年9月30日深夜、大統領親衛隊第一大隊長のウントゥン・ビン・シャムスリ中佐がクーデターを起こした。中佐が率いる部隊はインドネシア国軍高級将校6人を殺害し、国営ラジオ局を占拠するなどした。
クーデターを鎮圧したのは戦略予備軍司令官のスハルト少将だった。スハルト少将はただちに指揮下の部隊を展開して、首都ジャカルタを制圧。一方で、クーデターに対応できなかったスカルノ大統領は、事後承諾の形で治安秩序回復のための全権限をスハルトに与えた。
スハルトはクーデター首謀者のウントゥン中佐や、クーデターの黒幕と断じた共産党関係者を次々に処刑した。集団虐殺も発生した。殺害された共産主義者は約50万人で、うち約40万人が華僑だった。なお、犠牲者総数は300万に達するとの説もある。
華僑が特に狙われた原因としては、経済的に成功していた者が多く、周囲から恨まれがちだったことが挙げられる。また、インドネシア共産党は中国共産党と極めて親密な関係であり、極左的な傾向を強めていた中国共産党の影響を強く受けていたことがある。
インドネシア側は中国共産党がクーデターに関係していたと非難。中国側は否定したが、周恩来がクーデターへの緊急援助と武器引き渡しをしたとの証言もある。
インドネシアは極めて早い時期に中華人民共和国を承認した国の一つだった。外交関係の樹立は1950年4月13日で、1949年10月1日の中華人民共和国成立から6カ月余り、1949年に宗主国だったオランダがインドネシアの独立を承認した1949年12月からは約4カ月後だった。
しかし、クーデター発生と華僑住民の大量虐殺により両国の関係は冷え込んだ。1966年4月15日には、インドネシアの警官隊と暴徒が中国大使館に突入して破壊と略奪を行い、大使館員5人を負傷させる事件が発生した。その後も中国公館の襲撃は繰り返され、累計43回、中国側の負傷者は63人に達した。
インドネシア政府は1967年10月23日付で、自国の駐中国大使館の閉鎖を宣言し、中国側に対して10月30日付で駐インドネシア大使館を閉鎖することを要求した。中国は1967年10月27日に国交断絶を宣言し、10月31日には大使館員を全員引き揚げさせた。
双方の歩み寄りがみられるようになったのは1970年代後半からで、1989年2月には、昭和天皇の葬儀に参列するために訪日したインドネシアのスハルト大統領と中国の銭其シン(シンは「深」のさんずいを王へんに代える)が東京都内で会談した。
同年4月後半からは中国で大規模な民主化要求運動が発生し、6月には北京でいわゆる天安門事件が発生したために、関係正常化に向けた動きは短期的に中断したが、その後も交渉は続き両国は1990年8月8日に国交を回復させた。
ただし、インドネシアではその後も中国系住民を対象とする暴動が繰り返された。1998年発生した大規模な暴動は、本来は1997年に始まったアジア通貨危機で生活が苦しくなったことなどで発生した反政府運動だったが、5月13日から16日まではインドネシア各地で中国系住民の居住区が集中的に攻撃され、中国系住民数万人が死傷したとも言われている。
【1965年のその他の出来事】
・日本航空が「ジャルパック」発売(1月)
・大塚製薬が「オロナミンCドリンク」発売(2月)
・米軍が北ベトナム爆撃(北爆)開始(2月)
・初の日本国産旅客機YS-11が就航(4月)
・日韓基本条約が締結(6月)
・名神高速道路が全線開通(7月)
・シンガポールがマレーシアから独立(8月)
・藤子不二雄初のTVアニメ「オバケのQ太郎」放送開始(8月)
・国鉄がみどりの窓口開設(9月)
・日本初のカラーTVアニメ「ジャングル大帝」放送開始(10月)
・深夜テレビ番組「11PM」放送開始(11月)
・中国で文化大革命が始まる(11月)
■筆者プロフィール:如月隼人
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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