如月隼人 2019年9月21日(土) 13時50分
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米国カリフォルニア州オークランド市郊外で1909年9月21日、広東省出身の馮如が自作の飛行機に搭乗して飛行した。中国人が作った飛行機としての初の有人動力飛行成功だった。ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功してから約5年半後だった。資料写真。
米国カリフォルニア州オークランド市郊外で1909年9月21日、広東省出身の馮如が自作の飛行機に搭乗して飛行した。中国人が作った飛行機としての初の有人動力飛行成功だった。ライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功してから約5年半後だった。
馮如は1884年1月12日に広東省で生まれた。生家の経済状況が悪くなったため、11歳の時に母方のおじを頼ってサンフランシスコに渡って仕事をすることになった。1899年にはサンフランシスコからニューヨークに移り、機械製作の勉強を始めた。その後、造船所、発電所、機械製造会社で仕事をしたが、当時は中国人が差別的な扱いを受けていたこともあり、しばしば解雇され職を転々としたという。
その間にも、機械製作技術を独学で学んでいった。ビジネス面での成功のきっかけは、効率がよく移動にも便利だった小型発電機を開発したことだった。それ以外にも実用的なポンプや無線電信機の開発にも成功したという。
馮如は1906年にはサンフランシスコに戻り、改めて機械を製造販売する事業を立ち上げた。成功した技術者/ビジネスマンとして、華僑社会を中心に著名な存在になったという。
欧米では19世紀末から、「飛行機開発競争」が始まっていた。人類初の「有人動力飛行」に成功したのは米国のライト兄弟で、1903年12月だった。
その後も飛行機の開発や改良競争が続いたが、それぞれが自分の技術の公開を避けることが一般的だった。飛行機開発に取り組んだ馮如も、ほぼ独力で研究を続けるしかなかったという。
馮如が飛行機製造に本格的に取り組んだのは1907年で、オークランド市内に工場を借りて作業を進めた。「馮如1号」と名づけた飛行機の初飛行は1909年9月21日夕方だった。向かい風を利用して離陸することに成功したが、約800メートルを飛行したところで、失速した。プロペラが断裂したといいう。高度約4.5メートルから墜落したが、搭乗していた馮如は負傷せずにすんだ。いずれにせよ、中国人として初の、有人動力飛行の成功だった。
1911年10月に辛亥革命が勃発すると、馮如は革命に参加するために助手らを率いて広東省に戻った。馮如は広東革命政府から「飛行機長」に任命された。馮如はまた、広州市内に飛行機製造会社を設立した。革命軍が戦闘する際には、自作の飛行機による偵察隊を組織する考えだったという。
馮如は1906年の時点で、知人に対して「飛行機は軍事上、不可欠なものになる。戦艦を建造する巨額の資金があれば、飛行機を100機、製造できる」「飛行機を1000機保有して港湾を守れば、中国の内陸部の安全が保障される」などと述べたという。馮如の考えは当時として極めて先駆的であり、航空戦力の将来を見事に予想していたとして、評価されている。
1912年3月には改良型の飛行機の製作に成功。同年8月25日には各界の有力者を招き、広州燕塘飛行場でデモンストレーションを行うことになった。馮如は飛行機の利用法や製造について、さらに操縦法を説明してから、飛行機に搭乗して離陸した。
見学者からは大拍手が起こった。約8000メートルを飛行した後で、馮如はさらに上昇しようとした。しかし高度36メートルで機体は失速して墜落した。馮如は病院に運ばれ手当てを受けたが死亡した。29歳だった。
なお馮如が開発した飛行機には「胴体」がなく、搭乗者やエンジンがむきだしになっていた。1923年には広州で当時としてはかなり進んだタイプの複葉機「楽士文(ROZAMONDE)」が製作された。孫文も飛行発表会に来場し、孫文夫人の宋慶麗も試乗したという。中国では時おり、「中国人が初めて製造した飛行機は『楽士文』と紹介されることがある。
【1909年のその他の出来事】
・味の素を一般発売(鈴木製薬所)(5月)
・本所回向院境内に初代の国技館が完成(6月)
・大日本麦酒がリボンシトロン発売(当時の商品名はシトロン)(6月)
・京成電気軌道株式会社設立(6月)
・日韓併合の方針を閣議決定(7月)
・伊藤博文が暗殺される(11月)
・韓国の政治団体、一進会が日韓合邦を要求(12月)
■筆者プロフィール:如月隼人
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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