Record China 2013年6月13日(木) 19時13分
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アクションスターのジャッキー・チェンに第12回ニューヨーク・アジア映画祭で生涯功労賞が授与され、新華社がジャッキーのハリウッドでの足跡を追っている。写真は映画「ベスト・キッド」の撮影風景。
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2013年6月10日、アクションスターのジャッキー・チェンに、第12回ニューヨーク・アジア映画祭で生涯功労賞が授与された。これにともない、中国国営メディア・新華社が、ジャッキーのハリウッドでの足跡を追っている。
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10日(現地時間)、米ニューヨークで開催された第12回ニューヨーク・アジア映画祭で、ジャッキーに生涯功労賞(New York Asian Film Festival Star Asia Lifetime Achievement Award)が授与された。50年にも及ぶアジア映画、ハリウッド映画への貢献を称えるものだ。
これに際し、中国国営・新華社は彼のハリウッドでの足跡を伝えている。アメリカで公開された初めての出演映画は、1972年のブルース・リー主演「ドラゴン怒りの鉄拳」だった。当時のジャッキーはスタントマンとして出演している。
実質的なハリウッドデビュー作となるのは、1980年の「バトルクリーク・ブロー」。ブルース・リーの「燃えよドラゴン」のスタッフが総結集した、香港・米国合作映画だった。ブルースが巻き起こしたカンフーブームの後継者として、ジャッキーに白羽の矢が立ったものだが、興業成績はふるわなかった。1985年の「プロテクター」では監督との間にアクション演技に関して認識の不一致が生じ、全米公開のオリジナル版と、アジア限定公開のジャッキー編集版が出現することに。ブルースの面影を求められることで、ジャッキーは「演じているのは自分自身ではない」という違和感を感じていた。
その後、ハリウッドから声が掛かるも、香港映画を拠点に活動。「プロジェクトA」「ポリス・ストーリー」といった名作シリーズを生み出した。1995年の「レッド・ブロンクス」は、ジャッキーが3度目のハリウッド進出に挑んだ作品。全米における興業収入は初登場週1位を獲得し、香港から飛び出したハリウッドスターとしての地位を固めた。
1990年代以降は、「ラッシュアワー」シリーズを代表作として堂々のハリウッドスターに。2010年の「ベスト・キッド」は、北米市場で初週興行1位を獲得。テレビ・映画・音楽から好きなスターを選ぶ「ピープルズ・チョイス・アワード」にもノミネートされ、最も好きなアクションスター賞を受賞している。(翻訳・編集/Mathilda)
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