<在日中国人のブログ>16年ぶりに長野県の南相木村を訪れた

黄 文葦    2019年7月12日(金) 10時40分

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日本に来て間もない頃、私は留学生として「信州南相木村セミナー」に参加するため、二度長野県南佐久郡南相木村に行った。6月30日、私は16年ぶりに南相木村を訪れた。

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日本に来て間もない頃、私は留学生として「信州南相木村セミナー」に参加するため、二度長野県南佐久郡南相木村に行った。村では、1988年から、「信州南相木村セミナー」という名の国際交流活動が17年間続けて毎年夏に行われていた。毎年、南相木村が数十名の在日留学生を招待し、村民の家にホームステイさせ、村民と留学生が異文化コミュニケーションを深めていた。17年間で数百名の留学生が南相木村を訪れた。皆の心の中で、南相木村はゆかりの地になったと思われる。私はその中の一人。

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6月30日、私は16年ぶりに南相木村を訪れた。朝、北陸新幹線に乗って佐久平でJR小海線に乗り換え、40分ぐらいで小海駅に着いた。南相木村までの村営バスがあるが、この日は南相木村教育委員会の中島栄さんと北海道酪農学園大学名誉教授の森川純先生が車で駅まで迎えに来てくださった。森川先生は30数年前に南相木村に縁を結んだ。村の国際交流に多大に貢献したと言われる。16年前、私は南相木村で森川先生と知り合った。

村役場に到着し、村長の中島則保さんに表敬訪問を重ねて取材した。たいへん開放感のある村長室に驚いた。私はその一面の大きな窓を巨大なテレビ画面だと想像する。豊かな森が映されている。鳥の鳴き声・風の音・渓流の音が聞えてくる…四季の変化につれて、窓の外の風景が変わるという。世の中で一番美しい村長室だろうと感心した。

村長が二つの課題を語ってくれた。一つ目は、南相木村の国際交流活動。22年前から、かつてオーストラリアのアデレード大学で講師をしていた森川先生の紹介で南相木小学校と南オーストラリア州バロッサバレー地区のサンディークリーク小学校との交流が始まった。南相木小学校に在籍する6年生の児童全員にオーストラリア研修へ行かせる。さらに、オーストラリアの小学生を南相木村に招く。人口千人の小さな村だが、オーストラリア研修に行った児童はすでに260人に達した。さらに、オーストラリアの先生に一年間、村の保育園と小学校で英語を教えてもらう。村民運動会にはオーストラリアの先生と学生も参加したという。運動会の会場で色とりどりの国々の旗が風にひらひら翻っている風景があった。

二つ目の課題は移住定住計画。現在南相木小学校には学生が35名しかいない。村長には、もっと多くの人が南相木村を選んでほしいという切なる思いがあった。役場の総務課の下に、移住定住促進室が設立された。南相木暮らしの舞台は優しい季節巡り、日本の原風景と共に生きると言われる。子育てに優しい村で、保育料は国の基準額と比べると半額以下。村の唯一の信号機が小学校前の道路にある。村民の仕事は主に農業と林業だが、近年、ITなどの個人起業家のために、小さな木の小屋「タイニーハウス」を使ったサテライトオフィスを整備している。

また、村の自然や生活を体験し、村民との交流を目的とする移住定住促進施設である築150年の古民家「たまる家」を見学した。一家族で1泊2日から6泊7日までのお試し居住ができる。歴史感覚と高級志向を交わした古民家だというイメージであった。その素敵な優雅な空間でしばらくくつろいだら、あたかも時間の流れがゆっくりになったようだった。ここで一週間暮らせば、一生のいい思い出になるに違いない。

村の自然は原風景で、人情も「昭和の原風景」だと感じる。村には中島さんという苗字の人が多い。皆が苗字ではなく、まるで家族のように下の名前で呼び合う。南相木村では国際結婚が多いそうで、中国からのお嫁さんも数人いて、家族と幸せに暮らしていると聞いた。

午後、私は森川先生、中島栄さんと一緒に車で森の奥、村の高いところへ出発。日本一標高の高い南相木ダムに着いた。天端の標高は1532メートルという。ダム右岸の天空の石広場を散策。ダムは人工的な作りだが、湖、森など自然と完璧に融和する。大きな石灰岩がたくさん積み上げられたロックフィルの壮大さと美しさに、誰でも心が奪われるだろう。なぜ15年間たっても石灰岩は真っ白のままなのだろうか。本当に不思議に思った。

夜、村の温泉施設である「滝見の湯」で食事、当地の蕎麦が格別においしかった。ここは温泉にも記憶にも浸かれる場所であり、16年前にホームステイのお母さんに連れられてきたところだ。この日、中島栄さんの電話を借りて、旅行に出かけていた16年前のホームステイ先のお父さんと通話した。しゃべっているうちに、16年前の記憶が映画のシーンのように頭の中に映しだされた。食べたもの、話し合ったこと、家族の名前などを続々と思い出した。南相木村は心の故郷になったよ…。

16年間、村の人口は減ってきたが、村には変わらないものがある。それは温かい人情、豊かな風景、広い心、グローバルな視野…もっと、日本中、そして世界中の多くの人々が南相木村のことを知ってほしいと願っている。

■筆者プロフィール:黄 文葦

在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。

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