日中和解と平和実現へ「全分野の交流促進で信頼醸成を!」―独仏協力条約50周年で両国駐日大使が記者会見

Record China    2013年3月18日(月) 7時44分

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独仏首脳がエリゼ条約(独仏協力条約)に調印してから今年で50年。シュタンツェル駐日独大使、マセ駐日仏大使が記者会見し、条約の意義やこれまでの両国の和解の取り組み、日中間の平和実現策などについて語った。写真はシュタンツェル駐日独大使(右)とマセ駐日仏大使

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フランスのドゴール大統領とドイツのアデナウアー首相が1963年にエリゼ条約(独仏協力条約)に調印してから今年で50年。フォルカー・シュタンツェル駐日独大使とクリスチャン・マセ駐日仏大使が、2013年3月15日、日本記者クラブで記者会見し、条約の意義やこれまでの両国の和解の取り組み、東アジアの平和実現策などについて語った。

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ドイツとフランスはかつて領土問題をめぐって悲惨な戦争を繰り返し、第1次、第2次の両世界大戦で破滅と苦難を経験したが、和解し平和友好関係を確立した。

一方、日中間には領土をめぐる緊張状態が続いている。シュタンツェル独大使は、隣り合う国同士が和解し平和を実現するための方策として、「独仏両国は交流プログラムを積み重ねて、相手国との和解を国民が望むような雰囲気を作り国民の間に切迫した気持があった」と強調。あらゆる分野での交流促進による信頼醸成が必要との考えを示した。

マセ仏大使は「(平和友好には」経済的な結びつきが重要であり、日中間には緊密な経済依存関係が存在している。対立要素を乗り越え(和解を)実現していくことができる。独仏の間に検討に値するツールが多く存在しているが、いくつもの(具体的な)ツールを検討してほしい」と提案した。

両大使の発言要旨は次の通り。 

ドイツとフランスは「独仏協力条約(エリゼ条約)」の調印から50周年を迎えた。戦後の仏独両国の和解の土台となった文書である。

 

隣りあう国同士の歴史的関係は複雑になりがちで、独仏も例外ではなかった。独仏両国は領土問題をめぐって悲惨な戦争を繰り返し、第1次、第2次の両世界大戦で破滅と苦難を経験した。

ナチ体制による熱狂と苦痛に満ちた戦争体験の後、両国が和解するには、ドゴール元仏大統領、アデナウアー元西独首相のような勇気と長期的視野、雅量を備えた政治家が必要だった。彼らは両国は宿敵ではなく、平和と繁栄を生み出す運命にあると考えていた。 

1963年に署名されたエリゼ条約も、その後の両国民の誠意と努力があったからこそ、幅広い草の根交流や信頼の醸成が育まれ、長期間にわたる平和と繁栄をもたらした。対立がもたらす代償がいかに大きく、和解から得られる利点がいかに大きいかを、歴史の教訓から学んだ。

両国政府は仏独青少年事務所を1963年に創設、750万人の若者が隣の国を知った。言語を学ぶ組織が数多くでき、仏独2カ国語放送局、独仏180の大学が参加する「独仏大学」も設立された。

独仏の学校は両国の全歴史を描いた共通の教科書を使用する。防衛分野でも「独仏合同旅団」が創設され、欧州合同軍の必須の部隊となっている。対立や意見や利害の違いを軍事力で解決するという方法は、もはや考えられない。

この50年を振り返ると、両国は欧州統合の原動力エンジンとなった。国境の撤廃、共通通貨、居住自由など今日の欧州市民が享受している恩恵をもたらし、独仏の協働は今後も継続され、独仏両国民は今後もこの道を歩んでいく。(取材・編集/SK)

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