日本のバブル崩壊は円高が招いた災いなのか?―中国メディア

Record China    2019年3月28日(木) 6時40分

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25日、中国メディアの和訊名家は、「日本のバブル崩壊は円高が招いた災いなのか?」と題するコラム記事を掲載した。

2019年3月25日、中国メディアの和訊名家は、「日本のバブル崩壊は円高が招いた災いなのか?」と題するコラム記事を掲載した。

記事は、「長期にわたって欧米に対して多額の貿易黒字となっていた日本は、1985年のプラザ合意で円高を迫られ、その後一気に円高が進んだ」と紹介。「輸出が大きな影響を受けたものの、海外での爆買いを引き起こし、ソニーが34億ドルでコロンビア映画を買収するなどした」と伝えた。そして、「日本は輸出が駄目になったため、不動産業を発展させることしかできず、これによって日本経済を成長させようとした」と分析した。また、「円高が続いたことで大量の海外資産が日本へ流入したため、その資金の多くが日本の不動産業へと投資された。このため、不動産業はいびつな発展を遂げることになった」とした。

続けて、「当時の日本人は不動産業こそ日本経済成長の柱となる産業だと考えていた。そのため、日本政府も不動産業の発展を奨励し、86年1月から87年2月までの間に、日本銀行は5回も金利を下げ、5%から2.5%になった。これにより、大量の国内外の資金が不動産へ流入し、不動産価格や地価を上昇させ、空前のバブルとなったのだ」と指摘した。

記事は、「日本のバブル経済形成と崩壊は、円高とそれほど大きな関連性があるわけではない。むしろ日本政府が内需拡大を進めるに当たり、不動産に過度に依存したことと大きく関係している。低い金利の影響で、86年から91年までの間に、日本の住宅地価は148%も上昇、6大主要都市では245%も上昇した。バブル最盛期には、日本の土地面積は米国の25分の1に過ぎないにもかかわらず、地価総額は米国の4倍になった」と論じた。

一方で、「不動産バブルが大きくなるにつれ、日本政府も制御する必要性を感じ、89年5月から90年8月まで、日本銀行は5回連続で金利を上げ、2.5%から6%にまで上昇した。当時の大蔵省も金融機関に対して不動産への貸付規模を抑えるよう求めたため、89年12月に日経平均株価が最高額となった後、92年には1万4300円まで下がり、60%以上減少したほか、地価も最高時から半分ほどに下がった」と説明した。

さらに、「株価と地価の下落により、日本は約1500兆円の富を失った。銀行は次々と貸付金の回収に動いたため、企業の資金繰りが悪化し、大量の不良債権が出現した」と指摘。「このため、日本では多くの企業が経営困難や倒産となり、これが日本のバブル経済を崩壊させた。その後の20年以上の間、経済成長率は平均1%以下にとどまっている。日本人は二度と不動産で経済を引き上げようとは思わなくなった」と論じた。

記事は、「上記の点から、日本のバブル経済と円高は関係がなく、日本経済が過度に不動産業へ依存したこと、日本銀行が立て続けに金利を下げたことと関係があることが分かる」と分析。「その後の金利引き上げでバブルがはじけ、金融システムに信用危機が発生し、実体経済に危機が及んだのだ」とした。

最後に記事は、「日本銀行が自らバブルをはじけさせなくても、日本のバブル経済ははじけていただろう。しかし日本は、この金融災難の後にハイエンド産業を発展させたので、日本の製造業はやはり今でも世界トップレベルを維持しているのだ」と結んだ。(翻訳・編集/山中)

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